未来は向かうものではなく来るものだとしたら
とある友人が
実は時間って未来から過去に流れてるんちゃうん?
って言っていた。
「未来がやってくる」
っていいかたがあるけど、あれは不思議で
まるで未来の方からこっちへ来るみたいだと。
過去があるから今があって、今があるから未来があるとか、今を良くすることで未来は書き換えていくものという概念ではなくて
決まっている未来が実はもうあって、それがただ向かってくるだけなのだと。
そう考えるとつじつまが色々と合うというのだ。
なんか問題の答え合わせみたいに、未来が自分に追いついてみると、いままで意味がわからなかったひとつひとつの起きた事柄が、ただそこにいたるまでのパズルのピースに過ぎなかったことに
納得する瞬間があるらしい。
あまりにもパズルのピースの組み合わさり方ができすぎていて、神様にしかできない領域の精度なので
それが人間業でどうこうなるものではないことに、なんとなく気づいてしまうときがあるんだ、と
これってこうなるしかなかったんじゃん、みたいな、すべては必然だったという感覚に降参するしかないとき。
この話を聞いて、そんなにピンと来なかったわけでもなく、たしかにそうかもしれないなーと思っている自分がいたのは、
たぶんすべてが必然に起きていて、縁やタイミングや、起きることの計算にはなんの狂いもないことを
自分も人生の中で何回も何回も体験して、思い当たることがあったからかもしれない。
プロローグから気にも留めなそうな謎の種をひとつずつ蒔いて行って、話の最後に怒涛の勢いで伏線を回収をする良くできた物語みたいなイメージが浮かんだ。
東野圭吾もびっくりのよくできた無駄のない伏線回収長編ストーリー
自分が今物語のどこにいるのかは、死ぬまできっとわからないのだけど、きっと最後には怒涛の伏線回収と都合よく自分で考えた最高のラストが待っていて、もう決まっている未来がやってくるのを待っているだけだとしたら
なんかめちゃめちゃ楽しくないかなと思った。
これに関係するかわからないが、
わたしは最近なにかわりと重大そうなことで悩もうとするとき
「どっちを選んでもどうせ同じだわ」
と納得感を持って選べるときが多くなって、あまり悩むことが少なくなったので
それはなんでか考えていた。
それは、自分の向かう方向性ってどのルートを選んでもだいたい大枠は決まっていて、たとえわたしが明日カツ丼を選ぼうが牛丼を選ぼうがそのくらいのちょっとやそっとの選択を変えたくらいでは変わらないくらいの大きな方向性に、どうせ導かれていくもんなんだろう、という謎の確信があるからなのである。
ワンピースでログポーズが指し示す先にいろんな島があって、どのルートでも行けるじゃないですか。
でも最後はラフテルにつながってるじゃないですか。
どこのルートを選んでも。
あんな感じのイメージです。
どうせここで別れることを選んだって、必要ならまた会えるし
どうせここで一回離れたって、大事ならまた戻ってくる。
選択ってそんなもんなんじゃないかって思うと
ひとつひとつの別れや出会いやいろんなことも、
どうせ最後はここにつながるんでしょ、みたいに思えてなににもしがみつかず、
今好きなもの、今選びたいものだけに集中して、
必要なくなったものからは遠慮なく、手を離していけるのである。
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