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わたし的 平成はじめ

【備忘録つづき‥平成の始めころ】

平成元年4月高校を卒業し
量販店に就職した。婦人服売り場だった

本音を言えば子ども服か雑貨を希望していたが
どうやら多くの人が婦人服を希望するようで
面接してくださった方がたまたまその店の店長だったらしく
『希望の売り場はある?婦人服がやっぱりいいよね』
ということで 配慮してもらい?
婦人服売り場の配属となった😅
田舎の素朴な高校生のわたしは
『いや、子ども服がいいです!』なんて言えなかったですから素直にそれを受け入れました。

配属して翌月に消費税が導入されたこと
よくとしにバブルが弾けたことは

なんとなく、そこにいたという経験が
わたしにとっての強みだと思っています。

婦人服売り場はスーツやコート、フォーマル、などなど普段着とフォーマルの間のものを主に販売していたのですが

今思うとちょうど変わっていく時だったように思います。

セール品といって 広告用の洋服が初めから赤札で納品されていました。

売り尽くし‥時期に残った品物はもちろん値下げして販売するのですが、初めから安売り用の品物もお店に並べました。 『安い❣️😳』とめちゃくちゃ売れました。
皇太子(今の天皇)が成婚されるころ
小和田雅子様の着ていたコートやスーツ、ブローチ
に似せてつくった商品を
手が届くぐらいの価格で販売した時は出せば売れる状況でした。

セール品を売る中で 自分の親世代より少し上の方は
『生地代にもならない』『縫賃にもならない』と
少しムッとされておられる方もいました‥
今思うと
縫製を仕事にして家計を支え
日本の物作りを支えてこられたり
未来の家族のために洋裁を習ったり
懸命に働いてステキな洋服を着るため
子どもに着せるために
良質な生地をお金を貯めて
買ってこられた方たちなのでしょう。

思いや目標としていたものがある日
安価で販売され始めたらそりゃショックをうけるのかもしれません。

今はその想像が出来るのですが
18歳のわたしにはまだ理解できませんでした
『安いのに機嫌を悪くするなんて‥』とも感じていました。

その頃から『安い』ことの価値が大きくなっていったのかなぁと感じてます。

同じくして100円均一は店頭販売のイベントから
店舗をもつようになり、『ドラッグストア』‥(言葉だけ聞くと怖い😱😅)コンビニ
がどんどん増えていきました。

【便利】で【安い】が主流になっていったのは平成初期からなのかなぁと思います。

良い、悪いではなく

昭和の
自分の好むもの使いやすいものを買う

から

平成の
沢山のモノが低価格で量産出来るようになり
『手に届く価格』の『モノ』に【自分を合わせる】ことができるように流れが変わっていったのだと感じます。

歴史ある美しい町並みと自然溢れる飛騨高山から発信ここちよいまいにちの暮らしをお届けします。