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父と粒子

4月11日、父が亡くなった。
覚悟はしていたものの、親が亡くなるというのは、祖父や祖母が亡くなった時とは違って何だか妙な感覚になる。

棺に入れられて花に囲まれた最後の父の顔は、やせ細ってすっかり別人のようで、火葬して肉体が消え去り骨だけになると、そのほうがまだいいような気がした。

親族だけが集まった火葬場の無機質な空間で、パートナーと2人で父のお骨を長箸で拾い、骨壷に入れた。火葬後の骨はスカスカしていて、思ったより軽かった。

みんなでひととおりお骨上げしたあとは、スタッフの方がてきぱきと骨になった父を真っ白い骨壷におさめていった。

お骨が砕けてサラサラな粉になった部分まで、それら専用のホウキとチリトリみたいなもので丁寧に丁寧に骨壷に入れていく様子を見て、ヒトって最後は粉になっちゃうのか、と思った。

人間は、目には見えない小さな細胞から命になり成長し形あるものとして存在する。
そして最後には、またこうして骨になり粉になり、目には見えない小さな粒子になって、空間に漂って床に落ちたり風に飛ばされたりして、『世界の一部』に戻っていくことを想像した。

最後はそんなふうに粒子になってしまうなら、人生で何をやっても、何が起きても良いんじゃないか、そんな気もした。


数日前の朝、窓を開けて寝っ転がり、カーテンが風に煽られて不規則に行ったり来たりしている様子をぼんやり見ていた。

その時ふと、緩急のあるカーテンの動きが海の波の動きと同じだということに気がついた。

なんだ、そこにいたのか。
海に行かないと波は見えないと思ってた。

もしかしたら父も、そんなふうにそこに居るのかもしれない。

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