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時限販売その2! 4章: クオリア同士の関係性からクオリアを特徴づける:米田の補題

(4章は、圏論の簡単な解説も入っています)


クオリアを特徴づけるとは一体どういうことか?


クオリアを構造的に特徴づけるとは、一体どういうことだろうか? クオリアという言葉は、少なくとも「狭義」と「広義」、2つの用法がある。[Balduzzi 2009, Kanai 2010]


狭い意味でのクオリアとは、赤いリンゴの「赤さ」を指す場合である。ある一瞬の意識経験におけるなんらかの場所や、意識にのぼっている物体の一部から選び出した意識経験のある一側面、一つの特徴だと考えて良い。狭義のクオリアは、心理物理学を使えば比較的簡単に研究対象に落とし込める。


広い意味でのクオリアとは、「赤いリンゴを手に持ち、それをゆったりとした気分で自分の部屋で眺める」というような、ある一瞬の意識経験の質全てを指す。たとえば、統合情報理論が扱う意識の質・クオリアとは、主に広義のクオリアだと考えてよい。最近の脳科学では、映画を熱中して見ているときの脳活動などを研究するものもあり[Boly 2015 PLoS One, Hasson 2004 Science, Nishimoto 2011 Curr Bio, Horikawa 2020 iScience]、そのような課題を使えば広義のクオリアを心理物理学に落とし込むことも可能だろう。


どちらの意味のクオリアにしろ、クオリアの質は非常に鮮烈である。デカルトが指摘したように、クオリア・意識経験を通してのみ我々は世界とつながり、かつ思考を積み上げることが可能になっている。


にもかかわらず、たとえば、目の前のリンゴの「赤さ」を報告してほしい、と言われても困るのではないか? 「ワイン」の赤よりはちょっと薄い、この「バラ」の赤と同じ赤さだ、など「他との関係性」を使わないと説明ができない。言語で赤いクオリアを報告しようとすると、他の色との比較(類似度)や、記憶にある他の色(トマトの赤さ)などでしか表現できない。また、そのような比較が可能であるとしても、果たしてそのような比較が他人と共有できるのかは不明だ。つまり、「私にとっての赤のクオリア」を、言語を用いて完全に特徴づけることは、原理的に不可能に思える。


しかし、同じような困難は、ことばの「意味」を他人に説明するときにも生じる。ソシュールが指摘したように、言葉の意味は他の言葉との関係性によって決まる[橋爪]。つまり、ある単語そのものの意味を、他の単語を使わずに定義することは根本的に困難である。確かに、目の前にあるもの自体をさして「これ」という定義は可能だ。しかしその場合も、そのモノのどの側面を指して「これ」と言っているのかが特定できない。赤いトマトを指して「これ」、と言っても、「赤」だけを取り出して伝えることは難しい。このようなことを考え始めると、赤ちゃんが、他の単語の意味を知らない状況から、どのように母語の単語の意味を学習できるのか、というのは非常に大きな謎である。母語におけることばの意味の習得は、実に認知・言語・発達心理学分野における大きな謎として捉えられている[今井・ことば]。


実は、クオリアや言葉の意味以外にも、他のモノとの関係性以外にそのモノを特徴づけることができない、という場面は他の科学分野においても頻出する。生態学の分野でいえば、ある動植物の特徴づけは、その生態系における他の動植物との関係性抜きには語れない。宇宙物理においても、ブラックホールを直接に観測することはできないが、ブラックホールとその周りとの関係性を計測することはできる。それにより、ブラックホールの特徴づけ、理論的な整合性が検討可能になっている。数学においても各種の「無限」は、無限そのものとして特徴づけたり分類することは難しいが、それが他の無限とどのように関係づけられているかを通して各種の無限を分類し、それらをより深く理解することができる。


構造を数理的に研究するために生まれた圏論においては、なんと、この「関係性」を通じたモノの特徴づけ、という方法に、数学的な正当性を与えることができる。それが「米田の補題」だ。


圏論の初歩から米田の補題までの概説

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