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自由に書く~6日間のライティング・リトリート②

アンディのリトリートは、オフグリッドの山の中で行われた。

キャンピングカーで来る人もいたけれど、私はテントを、松の香りが漂う樹々の下に張った。
食事はブランチとディナーが用意されるので、私は実際、このリトリートでは、書くこと以外何もしなくいていい。

そう、6日間、朝から晩まで、書いてばかりいていいのだ!



朝、目覚めると まだ、霧の残る山の頂から朝日が昇る。気の向くままにジャーナルを書く。
 
少し陽が上ったころに、アンディのキャンピング・カーのそばに各自、椅子を持って集まる。詩の朗読が始まる。本の中からランダムに選んだり、自作の詩を披露する人も。

今回集まったのは、30代から80代の8人。そのうち6人の参加者が本を出していて、今も出版に向けて、執筆中という人が2人いた。職種もそれぞれで、一人を除いては、アンディのこれまでの”ライティング・クラス”に参加したことがある人たちだった。
 
ブランチを済ませ、メインのテントに集まったら、ここからが 書く「遊び」の時間。


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ある日の「遊び」を紹介すると。

それぞれが、ひとつのトピックを決めて10分間のフリーライティング(ひと時も休まずに書き続ける、読み返さない、間違っても、書き直さない)をする。その後で、テントから出て、全員で追いかけっこのようなゲームをやる。(これがすごく楽しかった!)それが終わると、すぐに再び同じトピックで10分間フリーライティング。

次に タイチー(太極拳)の静かな動きを皆んなでやって、三たび’、同じトピックでフリーライティング。

3度目には、二人一組になって、片方が目を閉じる。もう片方が案内役となって導き、そこにあるテントのキャンバスの壁や、土や、木を相手に触らせていく。その後、目を閉じたほうの人は、4度目の同じトピックでフリーライティング。

さて、このワークを終えて、私の体験では、同じトピックでのライティングでも、自分の身体感覚で、表現が流動的に変わっていく感触を味わった。
自分の考え、文章にしたときの流れや、言葉や、雰囲気が、事前に自分がどんな体験をしたのかで、どんどん変わっていくのだ。そして、その都度、新しい発見があった。
ああ、こんなふうに、表現することもできるんだ、
視線を変えて、見ることもできるんだ、

そんな柔らかさを知った。

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もうひとつ、簡単なものを紹介しよう。

フリーライティングをしたあとに、そこから5つのフレーズを取り出して、それぞれを5枚の紙に書く。

それを自分の隣の人が並べ替える。
再び、今度は5枚の紙の順序に沿って、フリーライティングをする、というもの。

こんな、一見意味不明な「書く遊び」からは、思ってもみなかった不思議なものが現れる。まるで魔法のように。
心の中にしまっていたものへの、新しい考え、洞察。 心の奥にあった、自分だけのオーセンティックな言葉をすくい出してくれることもある。

目的も、意図も、何もない純粋な「書く遊び」から、私は先祖との「繋がり」を思い出したワークもあったし、自分が今取り組んで書いているものへの、ヒントが現れた、という参加者、今直面している人間関係への赦しが、起こった、という人もいた。
 
書いている最中は、まったくのカオスの中にあることも多い。

いったい自分は何を書いているんだ? 
これに何の意味があるの? 
ばかばかしすぎる。
そんな疑問が渦巻く。

けれど、アンディが言うように、ひたすらペンを動かし続ける。
リラックスして。
起こることに心を開いて。
好奇心を持って。

ペンを動かし続ける。

書くことに詰まったら、同じことを何回も書いていいし、何の脈絡もないセンテンスを、いきなり綴ってもいい、
書き続けることで、井戸の水が汲みあげられるように、言葉が湧いてくる。

もう、誰のものかもわからない言葉。

何がその先に待っているかなんて、分からない。

けれど、、もし分かっているなら、予測できるなら、それはまだ、書くことに最大限の自由を与えていない、ということになる。

何が出てくるかわからないおもちゃ箱を漁るみたいに、私たちは ”書く”ことを通して、自分の内側に潜っていく。

カギは、楽しむこと!
それがすべて。

他にも、カードや、アンディのおもちゃのコレクションや、そのへんの草や、木や、花、、ミツバチとのコラボもあった。

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と言うわけで、とにかく、楽しかった。

この6日間、「自由に書く」ことを存分に味わった。

 
リトリートでは、「自由に書く」という、ウオーミングアップをしてから、私たちは、自分たちの「書く」課題に戻り、残りの午後を過ごした。

ある人は、出版予定の本の続き、
ある人は、友人への個人的な手紙、
ある人は、森の中での詩作、
ある人は、ひたすらフリーライティングを続ける、
など、それぞれの世界へひとりで戻っていった。

「自由に書くこと」は、心の中の、「書く」畑を十分に耕し、豊かな土壌を作ることに似ていた。

さんざん自分に、自由に書かせてあげたあとは、そこに堆肥がいっぱいの、やわらかな土を見つける。

リトリートが終わった今も、私は、そこで再び、どろんこになるまで遊びたくて、しかたがない。

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