おまえこそが月なのだ
すべての暖かい夜
月光の下で眠れ
その光を、一生かけておまえの中に取り込むのだ
おまえはやがて輝き始め
いつの日か
月は思うだろう
おまえこそが月なのだと。
クリーインディアンの詩
「森と氷河と鯨」(星野道夫著)
私は北カリフォルニアの山奥で家族と暮らしていたとき、ときどき寝袋を持って、住んでいた小さな小屋の外で寝ることがあった。
風が土の匂いを含み、ゆっくりとそこらじゅうを散歩しているのを肌で感じながら、幾つもの月夜に眠った。
それからしばらくして、日本に戻ったときにこの詩に出会った。
繋がり、という言葉が現れてくる。
それは人間関係だけでなくて、ありとあらゆるものとのコネクション。
身近にあって毎日使っている、
このテーブル、コーヒーカップ、パソコン、
靴、車、玄関先に置かれたクリスタル。
そして、庭の花々、木々、大地、
宇宙や この地球、星々、そして月。
この世界は 何でもありだよ、と言われたら、
あなたは、あなたの世界で どんな繋がりを体験してみたいだろう?
けれど、意識のフォーカスを ただ「今」に向ければ、
繋がり、という言葉では足らない気がしてくる。では、これは何だろう?
まるで迷路に迷い込んで、帰る道すじを思い出そうとするけれど、何かにはぐらかされて思い出せない。
繋がりは、あちら側とこちらが側が存在して、両方を繋いでいるということだけど、そのあちら側、こちら側、が突然私にはわからなくなる。
あなたが肉食でも、菜食でも、あなたの口に入ったものはあなた自身になるように、
あなたが見るもの、聞くもの、触るものは、あなたと一体化しているのだとしたら。
すべてはあなた自身なのだとしたら。
目を閉じて、テーブルの上に手の平を置いて、その感触を感じてみると、自分の手はテーブルの 木目のざらつきと、ひんやりした感触だけになっている。私自身の手はどこへ行っちゃったの?(笑)
だから、ようく見て、
耳を澄まして、
身体中で味わって、
しっかりと触れてみて。
神秘はいつもありきたりな姿をして日常に佇んでいる。
私たちに見つけられようと、見つけられまいと、お構いなしに。
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