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幸せはものや思い出より、姿勢

こんにちは。今日は「幸せ」について。


幸せになるために現状を楽しむ

唐突ですが、幸せになるためには何が必要だと思いますか?

社会的な立場、比較優位を持てる他者の存在、衣食住の確保など色々な回答があると思います。

最近メジャーなところでは「お金やものより、それらで得る思い出」という話をよく聞きますが、思い出があればそれでいい、というものでもないでしょう。

例えば、行きたくもないミステリーツアーで興味のない場所で散々な目にあった、というのも思い出の一つですが、これは幸せには繋がらないかなと。

ですが、人間色々と個性がありますから、同じツアーでトラブル含めて楽しみぬいたことで幸せを感じた人もいるはずです。

この二人の事例の差はただの個性・好みの差で片付けて良いものでしょうか。

とりあえず現状の手札を認識して、それを楽しんでみる、という姿勢があれば、前者の状況にはならないのではないでしょうか。

人生を楽しむ

これは規模感を大きくすれば人生という旅にも適用できると思います。

具体的にすれば、「生きたくない、どうせ幸せになれない」と常に思っている人生で「幸せになりたい」という望みは叶うか、という話です。

もし幸せになりたいのであれば、人生の何らかの不満な要素を変える、言い換えれば「現状を変化させるように一定期間生きる」必要があると思います。

しかし、この「現状を変化させるように」は周囲のひどい状況を一変させる、というレベルでなくても構わないかなと。

現実を変化させるのが難しいなら、「仕事がつらい」→「自分頑張ってる」みたいに捉え方を変えるだけでも十分だと思うんですよ。

もちろん、ここで「どうせ無理だけど、そう思ってみる」→「ね、やっぱり無理だった」という姿勢だとその効果は失われてしまいます。

必死で、本気で幸せになると考えれば、自ずと視野が幸せの方を向いてくれると私は考えています。

視野・見方が変われば、自分には家がある、家族がいる、食べ物が手に入る、遊ぶ時間もあるなど、普段意識していない幸せがたくさんあることに気づけるのではないでしょうか。

少なくとも、このnoteを読める時点で「パソコンかスマホを持っている」という幸せがある、というのは忘れてはいけないかなと。

現状の幸せレベル

しかし、視野が変わって自分の持ち物に気づいたとして「そんな当たり前のレベルのことを幸せと思うなんて無理」という否定が発生したらどうすればいいでしょうか。

ここで一般常識やら慈善団体の主張を引っ張り出して「自分より恵まれていない人が」と思うのはこれまた逆効果だと思います。

ので、別解として、「私は今このレベルの幸せを得ている」ではどうでしょうか。

「自分は今このレベルの幸せを得ていて、それは理想に比べてこれだけ不足している」とすれば、高いレベルの幸せを求める自分と現状の幸せ認識の両立ができるのかな、と。

幸せになることでより幸せになる

ここで冷静になって「このレベルは無理だ」と求める幸せのレベルを下げることは悪ではないかなと思います。

むしろ求めるレベルを今の自分が超えている、というところまで下げきれれば、内心の幸せは獲得できるのではないでしょうか。

内心が変われば外に出す感情も変わるはず。幸せな感覚を周囲に発する事ができれば、より大きな幸せとエネルギーが舞い込んで、過去に求めていたレベルに到達できるのではないでしょうか。

上記から行くと、幸せになるために必要なのは、現状の幸せ要素の認識と、それによって内心の幸せ、幸福感を味わえるようになることだと思う、というところで今日は締めたいと思います。

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