命に水をやること
誰も彼も、平気な顔のひとつ奥には渦巻くものを持っている。
深い悲しみ、消えぬ憤り、許したらアイデンティティが損なわれるとさえ感じる憎しみや、痛みが麻痺しはじめたような諦め。
今にも氾濫しそうな濁流を、薄い顔の皮膚一枚下にひそませ、人は毎日を生きている。
何を抱えていようとも、日常はまわる。
どんなにやりづらかろうとも、時間は過ぎ去り、やってくる。
だからせめて、愛しいものを愛しむ勇気を持とうと思う。
心を開いて求めることは、とても勇気がいるものだ。命ある限り必ず失う何かを慈しむことはとても勇気がいるものだ。
くるしいときが来るとしても、それでもなお、愛情をいだくことは、とても時間をゆたかにいろどるものだ。命をやわらかくみずみずしく、躍動させてくれるものだ。
愛情とともに生きることは、
「楽に生きる」ことにはならないし、
「おいしく生きる」の真逆だと思う。
楽でもなく、おいしい思いなんてまるでない、愛情に伴う悲しみ苦しみも引き受ける覚悟とともに歩む道中は、心ゆたかでやわらかなあたたかいものになるのだと思う。
限りある命、いつ終わるともつかない命、許された時間を、愛情を摘まず、やさしく育てて生きていきたい。
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