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なぜ本を出したいのか

知人から、著書の出版(紙の書籍)について相談を受けた。
何度か立ち話をした程度の仲だけど、専門的な技術と才能を要する職業で、努力家で、その分野では成功もおさめている。賞を受賞したり、講師としてセミナーも開催するなど、世間からの信頼や知名度も上がってきているみたいだ。そんな彼に、どんな背景があったのかはわからないが、「自分の本を出したい」という気持ちが芽生えたらしい。
「出版に関してはまったくの素人なので、いろいろ教えてほしい」というまっすぐな相談だったので、自分が編集ライターとして彼の著書制作に関わるかどうかは別にして、知っていることなら答えようと思った。なので、わたしがこれまで本(紙の書籍)を何冊か出版してきた経験からわかる範囲のことを相手に伝えた。

別の方法も考えられる

彼の相談は最初から超シンプルで「自分の本を出すことに興味をもってくれそうな出版社を知っていたら紹介してもらえませんか」というものだった。
わたしは基本的に彼にはよい印象を持っているので、いま制作中の本の担当編集者に「こんな持ち込みの企画に興味ありますか」と聞いてみた。
すると「うちの会社向きではないけれど、もう少しテーマを広げることができれば他で可能性があるかもしれないですね」という反応。
次に、彼のことを知っているカメラマンの友人にも聞いてみると、企画と相性のよさそうな会社と編集者を挙げてくれた(まだコンタクトは取らず、候補を挙げてくれただけ)。

わたしは相談者に状況を伝え、「自分で直接売り込むなら紹介者につなぐし、わたしに編集ライターを依頼したいということなら、もう少し企画を詰めてから持ち込みますけど、どうしますか」と意向を尋ねた。
相手にも伝えたが、わたしはこの件を仕事として扱うか、あるいは友人として最初に助言だけしてあとは健闘を祈るとするか、どちらでも構わなかった。付き合いは長くも深くもない。でも人柄や仕事への姿勢には尊敬の念を抱いている。今すぐにという話でなければ、彼の出版デビュー作をフリーの編集者としてお手伝いすることもできたと思う。

相談者は全くの異業種のため、本人が言う通り「紙の書籍が出版されるまでの道のり」を何も知らない。そこで、出版社に持ち込むための企画の立て方(あくまでわたしのやり方)、持ち込んでから契約成立となるまでのステップ(これも経験の範囲)、印税のしくみ、ギャラは原稿料というかたちで受け取るケースもあること(お金のことをとくに知りたそうだった)、などの具体的な話をざざっと伝えた。そうした内容をメールに綴りながら、つくづく思ったことを最後に書き添えた。「だから実際には本を出版することって、イメージよりもずっと『好きでないとやれない仕事』だと思います」。

とても多忙な人ということを知っているので、「全然急がないので、焦らずよく考えてお返事ください」と送ると、1時間もしないうちに返信が。答えは「別の方法を考えたいと思います」だった。

わたしは、数日間で頻繁に交わされたメールの締めくくりのつもりで「自己プレゼンテーションやビジネスの手段なら、紙の書籍の出版以外にいろいろ方法はあると思います。がんばってください」と返事をした。するとまたすぐに「ありがとうございます、がんばります!」と、若くて爽やかな向上心がそのまま文字になったような、短い返答があった。

すべてのプロセスがしあわせなのだ

本を出版することはずっとわたしの夢だったし、その喜びや興奮には、今もまったく慣れることはない。何度本をつくっても「夢みたいだ」と思う。

でもその喜びは、自分の名が記された本が書店に並ぶことがすべてじゃない。本の企画が生まれてから、発売されて誰かに読んでもらえるまで、そのプロセスすべてが好きだ。だから著書でも、編集者やライターとして著者を支える本でも、本がつくれること自体が夢みたいなのだ。

そうではなく、たとえば今回の相談者のように、異業種の仕事で成果を出した自分をもっと世に知ってもらいたいとか、あるいは「本を出すことで何者かになれるかもしれない」と考える人が、「夢を叶えるための手段」として本をつくることは、今の時代、はたして最善の道なのだろうか。よくわからない。

紙の書籍に関していえば、手間も時間もコストもかかるし、効率のよいやり方とはいえないだろう。出版社から出せることになったとしても、初の著書で部数がしぼられたり印税率が低かったりすれば、労力と報酬のバランスは切ないものとなるかもしれない。それがわかったから、彼は「別の方法を考える」と即断したように思う。

この出版不況のなか、本をつくり、出版する意義についてはわたしもずっと考えている。著書を数冊出したことによって自分が何者かになれたかと考えたら、そんな手応えもない。

それでも、企画は浮かんでくるのだ。それを練ったり、台割を作ったり、コンテを描いたり、写真をセレクトしたり、レイアウトのラフを作ったり、いよいよ取材や執筆に向かうときも、しあわせでたまらない。作業としての向き不向きの話なら、わたしは本をつくることに向いていると強く思う。

相談者にも伝えたように、自分の存在を世にアピールしたいという動機なら、本以外にいろんなやり方があるはずだ。そして彼には、きっとこれから見つける別の方法が、むしろ合っているだろう。彼の実績は本というツールでないと伝えにくいという類のものではないから。

今回のやりとりであらためてわかったことは、今のわたしにとって、本をつくることは「夢を叶えるための手段」じゃない。本というかたちでこそ伝えたい、残したい、そう思えるテーマで、どうやったら最大限よい本がつくれるかを、いつも考えている。

そうしてつくった本が、書店や、あるいは図書館で出会ったものだとしても「これは手元に置いておきたいな」と思ってもらえて、買ってもらって、長く誰かの本棚に置かれて時々読み返してもらえたらいいな。
そんなしあわせなストーリーを夢見ながら、本をつくっている。

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