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10年が必要だった

先日、ある媒体で家の取材をしていただいた。
編集者さんとライターさんがいろいろと投げかけてくれる質問に答えながら、もしかしたら、最近ようやく家と自分たちがなじんできたといえるのかもしれないな、と思った。

築年数45年のこの家に住み始めて、今年の冬でまる11年になる。
和風の中古住宅を、縁側や玄関など気に入っている部分はそのまま残してリノベーションした家で、そのリノベーションも、入居前に1階と水回り、住みはじめて10年目に2階部分と、2度に分けて行っている。
大々的な工事以外にも、棚を取り付けたり、壁を部分的に塗ったり、家具の配置換えをしたりというちょこまかした改良やDIYはつねに行っていて、2020年に出版した著書のタイトル通り「直しながら住む」を実践している。

この家に出会ったとき、すでに前の住人が34年も暮らした後だったから、とくに庭に関しては、植えてある植物の種類もよくわからず、開花の時期も手入れ法もわからない。
そのため、2年くらいはただ様子を見守るしかなかったし、その後、買ってきた苗をすきまに遠慮がちに植えながら、少しずつ少しずつ、庭の顔色をうかがうようにして自分の色を加えていった。
そんな段階を経て、「ここはすみずみまでわたしの庭」とようやく思えるようになったのは、庭師を変え、生垣を撤去してウッドフェンスにした昨年あたりからだ。

家のほうも、新しく造り替えた部分がゆっくりと経年変化し、元の家の状態を残したまま使っている部分との境界線がほとんどわからなくなってきた。
11年前のリノベーションで、建築家さんも大工さんも、古い部分と新しい部分がなるべくなじむように設計や塗装で工夫してくれていたけれど、実際の時間を積み重ねなければ生まれない味や雰囲気は、やはりある。それがにじみ出るのに、最低でも10年という年月が必要だったのだと、いま家を見回しながら思う。

40代を振り返ってみる

そういえば、このあいだうちに遊びにきてくれた10歳ほど年下の夫婦から、この先の人生や働きかたについての迷いのような話を打ち明けられた。

こちらもまだ人生を折り返したばかりのような気でいるし、悩みも迷いも尽きないのだけれど、これから40歳になる人からすれば、来年で50歳になる自分は、たしかにそれなりの先輩的存在に映るのかもしれない。

49歳になった今年、娘が中学生になり、わたしは10冊目の著作を出せて、他にも楽しい仕事に誘っていただくなど、まだコロナ禍は続いているものの個人的には充実したよい1年だった(中学受験という暗く長いトンネルを抜けた後だからいっそうそんなふうに感じるのかもしれない)。

またそこには、40代がもうすぐ終わるという、ある種の清々しさと解放感もある。

実は、わたしの40代、振り返ってみるとけっこう苦しかった。
住む場所が変わり、働きかたが変わり、やりたいことや方向性を定めて、子育てしながらこつこつと本をつくる。というと聞こえはいいけれど、収入は雑誌の編集ライターとして目まぐるしく働いていた時期とくらべたら激減といえるし、思い描いた生き方に近づけば近づくほど、お金を稼げなくなるものなのかという現実を前に、自分にとっての働く意味やお金の位置づけというものを模索しつづけた10年だったかもしれない。

でも10年も悩むと、自分のなかで折り合いがついてくる。というか、しあわせに生きることとお金を稼ぐことをセットで考えなくてもいい、という視点を持てるようになってきた。
お金がたくさんないことで不幸になっているわけではないなら、やりたいことをやって生きることが、自分をしあわせへと導いてくれると信じていいのだ、きっと。
今、負け惜しみや開き直りも交えつつここにこうして書けるまで、わたしの場合、10年という時間が必要だった。

だからそんなふうに考えられるようになったのも最近のことだよと、年下の友人たちには話した。なんのアドバイスにもヒントにもならなかっただろうけれど、話が聞けてよかったと少しスッキリした顔をしていたので、こちらもホッとした。

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生きかた、はたらきかた、暮らし、モノ選びetc.のエッセイが12本入っています。

2022年12月発売のエッセイ集『すこやかなほうへ』(集英社)に収録されたエッセイの下書きをまとめました(有料記事はのぞく)。書籍用に改稿…

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