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「結果がすべて」の中学受験があんなにつらかった理由

一人娘の中学受験に伴走した2年半が、わたしの前半人生における最大レベルのトンネル期だった、という話を、これまでもくりかえし書いてきた。

noteではリアルタイムで苦悩を書き連ね、受験終了後はマガジンとしてまとめた。それから3年が経つ今も、中学受験生の親を経験する方から「共感しっぱなしでした」という感想をいただくことがある。

同じように子どもの中学受験を経験した人と話すと、「最後の半年は記憶がない」とか「過去問の時期は本当に辛かった」といった共通の体験談で盛り上がることはあっても、わたしほど、あの日々をトラウマに感じている人には、今のところ会ったことがない(もちろん辛い体験をした人はたくさんいるはずだから、たまたまとは思うけれど)。

よく語られるように、そもそも中学受験を目指そうという子(あるいは適性がある子)は、精神的に大人っぽくて自立心があったり、純粋に勉強が好き、または競争に燃えるタイプだったり、という傾向がある。

それに対し、わが子はどちらかといえば精神的に幼く、「ママが一緒にやってくれるなら自分もやる」という性格だったことが、わたしの試練のレベルを引き上げた要因の一つ。

もう一つは、わたし自身の性格で、娘とは対照的に何でも一人でやりたいタイプ、おまけになかなかの仕事人間なものだから、「働き盛りの40代のエネルギーを子の中学受験に注ぐことが賢明な選択といえるのか」という葛藤に、終始とらわれていたせいもある。

いずれにしても、わたしにとって「喉元すぎれば」とはならなかったのが、中学受験という特殊で摩訶不思議な世界だった。

それでもなんとか娘が志望校に合格し、今は学校生活をまぶしいほどに謳歌しているから、わたしが送った苦悩の日々は、「こういう経験もしておきなさい」と天から与えられた人生修行だったのかもしれないと、なんとか心のなかで折り合いをつけつつある。

ただ、もう二度とやりたくないし、できるとも思えない。
世間の中学受験の是非についても個人的には語りたくない……と、ここまでが今回の導入となる。


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