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受験とオリンピック

娘の受験勉強は、ただいま志望校や併願校の過去問をひたすら解きまくる時期に突入している。

中学校の入試過去問集のサイズはたいていB5判、厚さは平均2センチほど。毎年最新版が出版され、1冊にだいたい3年分の入試問題が収録されているが、志望度の高い学校はもっと遡った年度の問題も解いてみたいし、受ける可能性のある学校はとりあえず1冊は購入してみて、問題の傾向と自分との相性を確認する。と、あっという間に過去問集は増殖し、本棚を占拠しはじめる。わたしにとっては仕事部屋でもある場所が、どんどんどんどん「受験生の部屋」と化していく。

あと3か月は、もはやインテリアだなんだと言ってられないことは承知しているものの、本棚のスペースに限りもあるので、「さすがにもうこれはいらない、というテキストは処分しようよ」と娘に声をかけ、整理を始める。すると、学校のテストでも算数がガタ落ちした4年生のときに焦って買った教科書準拠の教材が数冊出てきた。「このへんはグッバイでいいよね?」と娘に渡すと、パラパラとめくりながら「わぁ、なつかしい~!これ、メルボルンまで持って行ってやったよねぇ!」と言うではないか。
「え、そうだった⁉︎」
「そうだよぉ、よく覚えてるよぉ。旅行で冬期講習に出られないって言ったら、その間もちゃんと勉強するようにって塾の室長に言われてさぁ。毎朝ホテルで出かける前に勉強したじゃん」。
言われてみれば……その風景がおぼろげによみがえり、たしかブログの旅行記にも書いたっけ、と過去の記事を探す。たしかにあった。

著書『メルボルン案内 たとえばこんな歩きかた』の出版後、家族旅行で行った真夏のクリスマスのメルボルン。あれは2018年のことだったから、まだ2年も経っていない。

そもそも、娘が受験したいと言い出した4年生の夏から数えても、わが家の中学受験は、トータル2年半で終わることになる。それなのに、こんなにも長くしんどく感じる2年半ってあるだろうか。
一般的には3年生の2月から塾通いを始める家庭が多いし、小学校低学年から始める家庭も少なくないのだ。それに比べたら短いくらいだけれど、わが家の場合、2年半より長い受験勉強期間は難しかっただろうな、と思う。子どものほうは大丈夫でも、たぶん大人のほうがもたなかった。

そんなことをぼんやり考えていたら、ふと、オリンピックを目指すようなアスリートって本当に強靭な精神力だよなぁ……とつくづく思った。まぁ、引き合いに出すのも申し訳ないくらい次元の違う話だけれども。

だって、常に年単位の視野で、本番にピークがくるように練習を重ね、途中ケガやスランプに苦しみながらも目標を見失わずに、自分やライバルたちと闘い続ける。そんな生活を、早ければ小学生から始め、選手生命が続くかぎり繰り返す。これ以上できないというほど綿密に準備した末に迎えた本番でもミスは起こり、また異例ではあるけれど、今年のようにずっと照準を合わせてきた本番自体が延期となってしまう、なんて残酷なことも起こる。それでも前を向き、次の本番をベストで迎えられるよう黙々と練習する……わたしのちっぽけな想像力では、それってまるで10年、20年とずっと受験勉強してるようなものだ。それも入試前数ヶ月くらいの真剣度をつねにキープしながら。

考えてみたら、わたしは中学受験はおろか、スポーツや習い事などでも、数年以上の長期に渡って目標に向かって努力した経験がない。
受験勉強は中学生のときも高校生のときもやったけれど、周りも一斉にやっていたし、どちらも真剣にやったのはそれぞれ1年ずつだった。
たかだか2年半で、それも受験生本人ではなく、サポートする立場であるにもかかわらず心身ヘロヘロなのは、48歳にして未知への挑戦をしているせいもあるのだろう。

この親子で挑んだ中学受験生活が、わたしの人生において何の意味があったのか、それがわかるのは、きっとずっと先のことだ。
ただ、少なくとも今の時点でわかっているのは、自分は思った以上に未熟で弱い人間だったということと、娘はのんきで、勉強に対する真剣度はいつまでも低いぶん、マイペースで強い人なのかも、ってことです。

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