最近のわが家はシェアハウスっぽい
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最近のわが家はシェアハウスっぽい

小川奈緒

娘が1歳半のときから10年以上もブログを続けているものだから、長年の読者の方に「ご家族のファンです」というメールやメッセージをいただくことがある。

素直にとてもうれしい。けれど、われわれ家族のかたちは、年月とともに有機的に変化していると自分では思っている。

ひとり娘がひたすら可愛かった、乳児、幼児、小学校低学年までの時期は、いつも家族みんなでごはんを食べ、3人で旅をして、それはまるで結束の固いチームのように傍目には映っただろうし、自分たちにもその自覚はあった。

その後、中学受験に挑んだ2年半という苦しくも濃密な親子の年月は、ここnoteにも書き連ねてきた通りだが

そのトンネルも通過したわが家は今、次なる段階に進んだことを、日々感じている。

この感じ、たとえるならなんだろうなと、春ごろからずっと考えていたのだけれど、先日ふと思いついた言葉を口に出してみたら、夫が「そうそう、僕もちょうどそう思っていた」というものだから、ちょっとびっくりした。

それは、「なんか今のうちって、シェアハウスっぽい」

自立した者たちが1つ屋根の下に暮らす時期


それはとくに夏休みの間に感じたことだった。
感染者急増によって部活や学校の補講も中止となり、とにかくどこへも出かけず家にいて、宿題を片づけつつオリンピックや高校野球を見て過ごすしかない中学生の娘と、在宅ワーカーの夫婦の3人世帯。
わたしも夫もそれぞれ仕事部屋を持ち、この春から娘にも勉強部屋がある。学校がないとなると、起きる時間も朝食をとるのもバラバラ、起きている間のほとんどは、おのおのが自室で過ごす。
1日のうちで3人がリビングに集まるのは、朝ドラ『おかえりモネ』を観る時間と夕食くらいで、お昼は、わたしはお腹が空いていなければ食べないから(たいていは昼前にコーヒー休憩をとっているせいでそんなに空いていない)、夫と娘が、それぞれ食べたいものをトレーに用意して、1人や、時間が合えば2人で食べている。

わが家のこうした現状を知って、もしかしたらガッカリする読者の方もいるかもしれないが、本人たちはこの状況をとても前向きに楽しんでいる。
だって、この形態が成立するのは、子どもが中高生である時期限定じゃないかと思うからだ。

大学生以上になったら(そのときコロナの状況が改善していれば)、今ほど一日じゅう家にいるってこともそうはないだろう。もしかしたら家を出て、別の場所で暮らし始めるかもしれない。
そうなれば夫婦2人暮らしで、その日々は静かでラクだろうけれど、現在の「複数の人間がそれぞれ勝手気ままにやっている感じ」というのとも少し違うんじゃないかと想像する。

つまりは、子どもに手がかからない、でもまだ子どもが親元にいる、そんな短い6年間だけのムードなんじゃないか、と思うのだ。

そう思えばラクになる、という発見


「今のわが家はシェアハウス」という見解が夫と一致したことで、精神的にラクになったことがいくつかある。

たとえば、家族にごはんをつくって食べさせなきゃ、という責任感から解放されたこと。

1年前は、コロナに怯えながらの受験勉強、しかも受験生はまだ12歳の小学生ということもあり、「栄養のあるごはんをつくって、本番でちゃんと力を発揮できるように免疫力をつけさせないと」と、今思えば自分が気の毒になるほど生真面目に考えていた。

その甲斐もあったというべきか、あるいは本人の生まれつきの体力のおかげか、とにかく風邪らしい風邪も引かず、最後まで健康状態はまったく揺るがずに受験を乗り越えたので、もちろん無駄ではなかったと思う。でも、もともと献身的に誰かの世話を焼くのに喜びを感じる性格でもないため、受験後もその日々を継続できるかと聞かれたら、きっぱりと「あれは期間限定だからできた」と答える。

あの日々からまだ半年しか経っておらず、こちらとしてもいきなり放任主義の母親にキャラ変する度胸もないけれど、でも、もう中学生だ。赤ちゃんみたいに放って置いたら命の危険が迫るわけでもなし、もう自分でごはんをつくることも徐々に覚えていってほしい。

そうはいっても、学校がある日の朝ごはんは、娘が起きてきてすぐ食べられるように、毎日6時に食卓に用意している。
そのかわり夏休みからは、お昼を食べる予定のないわたしに、娘が「ごはんはー?」と聞いてくると、「冷蔵庫を開けて、なんか適当に食べて」と答えるようにしていた。
すると、納豆をかきまぜ、冷凍ごはんをチンして、朝の残りの味噌汁と一緒にお膳を用意したり、「久しぶりに卵焼きつくってみれば?」と声をかければ、受験をはさんですっかりやり方を忘れたなりに、料理本を見ながらつくったりしていた。

期間限定の家族のかたちを楽しむ

もう一つ、わたしをラクにするのは、「自分の体調やスケジュールに合わせて食べたいように食べる」を実践できるようになったこと。

わかりやすい例でいえば、月曜断食で不食の日は、気を遣って前日に家族が食べる分のつくりおきをするようなこともせず、「今日は2人でやってくださいね」ときっぱりお願いしてしまう。

すると、冷凍してあるカレーを解凍したり、夫がチャーハンやオムライスを娘と2人分ちゃちゃっとつくったりして、まったく問題なく、月曜の夕飯も平穏に過ぎていく。

おかげで月曜断食に挑戦して4ヶ月が経った今も、4キロ減を維持できている。体は軽いし、機嫌もいいし、わたしが週1回(今では月1、2回だが)夕飯をつくらないことの代償としては十分じゃないかと思う。

これは、自立した生活を送れないメンバーがいたら、きっと成立しない暮らし方だ。それに娘が大学受験となれば、さすがに「適当に食べなさい」はできないと思う。だからおそらく期間限定であり、だったらその期間はめいっぱい自由にやらせてもらいたい。

もともとわたしは一人暮らしを謳歌している途中で結婚したせいか、家族べったりで生活することが必ずしもいちばんしあわせとは思っていない。
1人1人がのびのびと暮らせて、必要なときは助け合い、結束する、そんな関係を結び合いながら暮らせるなら、それがいい。

逆に、そういうかたちで一緒に暮らすことができる相手となら、血の繋がりとか、法律上の契約とかに関係なく、1つ屋根の下で複数の人間が共同生活をするのは、いいことの方が多いような気がする、今日この頃だ。

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小川奈緒
文筆家、編集者。最新刊は『ただいま見直し中』。既刊に『直しながら住む家』『家がおしえてくれること』『心地よさのありか』『おしゃれと人生。』『こころに残る家族の旅』など。毎週金曜、仕事や暮らしのエッセイを更新するnoteです。https://www.tabletalk.store/