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親が考えていることを知るということ

今の生活は、ただただ娘の受験勉強中心に回っている。
夏休みでも、平日でも週末でも、塾があってもなくても、起床時間と就寝時間は、毎日きっかり同じ時間。
お弁当をつくって朝食を出して朝勉強をさせて、車で夏期講習に送っていった後は、掃除や庭などの家仕事、ヨガ、執筆をちょいちょい。また自分でも娘の理科や社会の参考書を読んだり、入試の過去問題を解いてみたりして、自宅学習のなかでちょっとした解説くらいはできるようになれたら、と思っている。

夕方4時ごろ塾へ迎えに行き、帰ってきたら夕飯をつくり、食べ終わったらまた勉強。3時間ほどかけて宿題をこなし、お風呂に入って、なんとか10時半までに娘を寝かせる。一応その時間にわたしも寝室へ上がるため、そこからはベッドで読書。最近はなんとなく近代日本文学(今は森鴎外)を読みたい気分で、クラシカルな日本語の文章の美しさに浸りながらしばし現実逃避するのが1日の終わりのごほうび……のはずが、ものの15分で寝落ちしている日がほとんど。そんな、2020年の夏である。

こうした判で押したような毎日を送っているせいか、今週はついにnoteで書くネタが浮かばず……とあきらめかけたところに、急に思い出して気になりはじめたことがあるので、それを書くことにする。

子どもにとっての親のSNSって

ちょうど1年前くらいのこと。
保育園時代からのママ友と話していて、当時の彼女は、中学生の娘さんの反抗期に悩んでいた。

こんなひどいこと言うのよ、と娘さんから浴びせられた痛烈なセリフや行動をため息まじりに語っていたなかで、とくに印象的だったのが「『お母さんがインスタやるとか、意味がわかんない。なんのためにやるわけ』なんて言うの」というものだった。
ママ友は「ホントにキツイわ」という調子で話してくれたのだけど、わたしは純粋に興味を引かれて、「なるほど、おもしろいな、それ」と思ったのだった。

ブログもSNSもなかった時代、子どもから見て自分の親が毎日どんなことを考えているか、具体的に何を面白がったり、悩んだりしているかなんて、知る術もなかった。

仕事が忙しそうだな。最近イライラして機嫌が悪いな。おばあちゃんとケンカしてるのかな。今日はなんか機嫌がいいみたいだぞ。などと「推察すること」しかできなかった。

でも今、わたし自身ブログや著作で日々の小さな出来事と、それによって揺れ動く感情の記録をしているし、友人たちもSNSで子育ての悲喜こもごもをアップしている。だから子どもはインターネットを使える年齢まで達すれば、自分の親が考えていることを簡単に知ることができ、また記事として残っているなら、数年前に親が考えていたことまで知れるだろう。

これって、いったいどういう感覚なんだろう。
どんな気持ちがするものなんだろう。
自分が経験したことがないから想像がつかないのだ。
それくらい、わたしにとって両親は「何を考えているかわからない相手」だった気がする。
一応ことわっておくと、けっして仲が悪いわけでもコミュニケーションが希薄だったわけではない。
だからこそ、友人の娘さんが言ったという「意味がわからない」の言葉の真意に、強く興味を引かれたのだ。
子どもは、もし選択できるとしても、親が考えていることや感じていることなど、知りたくないものなのだろうか?
30年前のわたしは、母親がもしブログを綴ったりインスタグラムをまめに更新したりしていたら、それを読みたいと思っただろうか。読むとしたら、どんな気持ちで読んだだろう。

家族の人間的な側面が見える

もちろん、ブログやSNSに書いている言葉がすべてではない。
それに、子どもに読んでほしいと思って書くわけでもない(少なくともわたしはそうだ)。

けれど、親子が毎日顔を付き合わせて投げ合っている言葉によって、はたしてどれだけの本心をさらけ出せているだろう。
もちろんどんな感情も直接伝え合えるのがいちばんいい。でも、深くて複雑な思いほど、伝えることはむずかしい。ストレートすぎると素直に受け取れないことだってある。
その点、ブログやSNSに綴った率直な思いは、仲良しでばかりもいられない家族関係において、相手を、日々悩んだり喜んだりしている1人の人間として客観的に見つめるきっかけや、胸の奥を知る手がかりをくれるかもしれない。それはシンプルに「たすかる」のではないか。そんなふうに思うわたしは、あまりにも楽天的だろうか。

さておき、本題からは逸れるけれど、よく教育の専門家の人が「反抗期は成長過程になくてはならないもの」的なアドバイスをしているけれど、直面してみると、まぁ、しんどいものですね。
わたしは36歳で出産したけど、そうすると12年後に自分の更年期のはじまりと子どもの反抗期と中学受験が重なってやってくる。それがかくもハードであるとは、もうびっくりだ。

とにかく、娘も友人の娘さんも成長して、いつか対等に語りあえる日がきたら、聞いてみたい。親が日々考えたり感じたりしていることを子どが知ることができてしまうのは、いったいどんな気持ちがするものなのかということを。

ここで読み返してみてもかなりまとまりのない、今のわたしそのままの文章になってしまったけれど、今週はこんな感じで。

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