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数学で考える夢の叶え方

今月のはじめ、『あさイチ』のプレミアムトークに出演したムロツヨシ氏の下積み時代の話が、ハッと目が覚めるような面白さだったので、備忘録として書いておこうと思う。


大学受験では、猛勉強の末に1年間で偏差値を20もアップさせ、難関理系大学の数学科に合格。予備校のパンフレットにも載ったほどだったムロ氏。
ところが、入学からたった3週間で中退。
理由は、周囲の学生たちが将来の進路や、その学校や学部で学びたいことなど、はっきりとした目的意識を持って大学に入ってきているのに対し、自分にはそうしたものがなかったから。
ちょうどそのころ観に行った演劇に感銘を受け、自分はあの舞台に立つ側の人間になりたい、ならばここで4年間も数学を勉強している場合ではない、と決断したという。

中退後は、アルバイトをしながら劇団や芸能事務所のオーディションを受けまくっては、落ちまくる日々。
何をどうやってこの状況を打開すればいいのかもわからずに悶々と日々をやり過ごしていたころ、ふと、受験勉強で使っていた数学の基礎解析のテキストを手にとり、何げなく開いてみた。そのとき、「数学的帰納法で夢を叶えてみよう」と思いつく。

それは、最初に「僕=役者になる」と仮定し、それを証明するための式に自分の条件を当てはめながら、答えにたどりつくためには何が必要かを整理して実践していくというもの。
数学的にシンプルに考えることで、不安や悲観的な感情に流されることなく、自分の武器や足りないものを明確にしながら、役者になるための道筋を立てる。そうした思考や行動に切り替えた後から、徐々に人生が好転しはじめた……という話だった。

数学にはまったく親しむことなく人生を歩んできてしまったわたしだが、この話は不思議なくらいにスッと理解できて、とても感動した。
すごく好きな考え方だと思った。

何がいいって、「結果(しかもよいかたちの)が出ている」と先に決めるところからスタートするところ。
その結果を手に入れるためにはどうすればいいのか、と逆算で考えていくから、「うまくいかなかったら」という迷いや尻込みが介在する余地がない。とことん前向きで楽観的。
なるほど、こうやってシンプルな理論であくまで強気に考えることは、とくに人生の岐路においては有効なのかもしれないなぁと思った。

受験という普遍のドラマ

そういえば、わが家の受験が終わった1月の末のある日、夫が毎日昼食を食べながら観ているのをわたしもチラ見している『徹子の部屋』で、なぞ解きクリエイターの松丸亮吾くんが語る、受験と反抗期とがんで亡くなった母のエピソードに大泣きした。
と思ったら、翌日もEXILEの岩田剛典くんが中学受験から就職活動までめちゃくちゃがんばった話を披露していて感心し、それまで人気者とは知っていたけれど、とくになんとも思っていなかった二人のことを大好きになってしまった。
あと数日で東京の中学受験日というタイミング的にも、明らかに番組が意図したキャスティングと話題だろうし、こちらも受験生の母としてのハートをやすやすと射抜かれたというわけだ。

この二人に限らず、誰かが中学受験を経験したと聞くと、「じゃああなたも、旅人算とか暦算とかつるかめ算とかダイアグラムとか勉強したってこと? あんなに難しいこと、まだ小学生でよくがんばって勉強したねー!エライ!」と、頭をいい子いい子となでてやりたくなってしまうという中学受験の後遺症を、わたしはまだ抱えている。

わが子が受験を経験した直後ってこともあるかもしれないけれど、誰かが勉強をめちゃくちゃがんばった話を聞くと無条件に胸が熱くなるのは、おそらく、「好きでもない(なかった)ことから逃げないで、結果が出るまで取り組み続けることができる人」であるのを証明するのに、この手の話がものすごく有効だからなのだろう。

入試が近づくにつれ、「最初から勉強が大好きで、親から言われなくても進んでやって、おまけに成績もいい」なんて子の話(信じられないけれど本やネットの中だけでなく身近にもそういう子はちゃんといる、しかも複数)を聞いたりすると、まぶしくてたまらなくて、わが子がそうだったら自分はどんなにラクだっただろうかと、遠い目をしながら重いため息をついていた。

けれど、もしそういう子が将来『あさイチ』や『徹子の部屋』に出て、子ども時代の受験勉強について語ったとしても、多くの人の共感を呼ぶだろうか。「すごいわねぇ」と徹子さんは拍手をしてくれるだろうし、わたしも「うわー、この人もそのタイプか」と感心するだろうけれど、胸が熱くなって涙が浮かぶことはないかもしれない。
だって、好きなことをがんばるのは、好きじゃないことをがんばるよりは苦しくないだろうから。

中学受験に挑む小学生の多くは、まだ勉強が好きでも嫌いでも、どちらでもない。あるいは、好きな科目や単元もあれば、嫌いな科目や単元もある。それなのに、たとえ好きだとしても大変と感じる量や難易度の勉強をこなさければならないから、等しく苦しいのだ。

でも、つらい、苦しい、逃げ出したい、やめたい、という状況を、どうやって乗り越えたか、という姿に、きっとドラマは宿る。
そのドラマが、人々の胸をふるわせ、共感と勇気と希望を与える。

ムロ氏の話とともに、そのことも忘れないでいよう。

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