見出し画像

中学受験をふり返る

娘の受験が終わって2週間あまり。
合格の興奮や、緊張状態から解き放たれた反動でどっと体に押し寄せた疲れも、だんだんと落ち着きつつあって、とくに最後の半年間は失われていく一方だった「日常の楽しみ」や「リラックスするという感覚」を、少しずつ取り戻している。

このnoteに書いてきた受験関連の記事や、昨年の6月から入試終了まで毎日記録していた日記を読み返しても、本番が近づくにつれ、徐々に自分の精神状態がバランスを崩していったことがわかる。
こうした辛い記憶は、人は本能的に早く忘れたいと願い、実際忘れてしまうのだろう(たとえば出産時の痛みのように)。
でも、わたしは忘れ去りたくない、だから書き残しておきたい、と思った。
いつか読み返して、自分が、あるいは似た体験をした誰かが、「これを乗り越えられたのだから大丈夫」と思えるときがくるかもしれないから。

食事が餌になりかけた


あきらかに普通じゃなかったと感じるのは、いつのまにか「ごはんなんてどうでもいい」という気持ちになっていたことだ。
これはわたしにとってはものすごくめずらしい状態で、記憶の範囲では最後にそうなったのはいつだったか、思い出せないくらい。もしかしたらはじめてだったのかもしれない。

自分は食べるのもつくるのも大好きな人間だと信じていたのに、最後の2ヶ月ほどは、ごはんづくりも、食べるのも、面倒でたまらなかった。
それでも受験生の娘には栄養を摂らせなくては、という意識だけはあったから、100%義務感だけで食事をつくる日々。
しかしそんな料理は、気分転換にもならなければ、出来上がりもたいしておいしくないのである(家族はおいしいと言いながら食べてくれたけれど、自分は何のときめきもなかった)。

何より食事の時間もまったく気持ちがやすまらないのが、しんどかった。
「早く食べて塾にお迎えに行かなきゃ」「これが終わったら何時から勉強を再開して、勉強終了の10時半までにあれとあれを終わらせなきゃ」と、いつも時計とにらめっこしながら、機械的に箸を動かしていた。
そんなごはんが楽しいはずがないし、それが当たり前になってくると、少なくとも自分の食事に関しては、「栄養が摂れれば何だっていい」という投げやりな気持ちになってくる。
いや、一番ひどかったときは、栄養もそっちのけで、あきらかに糖分摂取過多だった。自分でも「これはまずいな」と思うくらいに、甘いものを欲していた。あんな感覚は初めてで、ちょっと怖かった。

長期戦向きではない自分を知る


わたしは仕事をするとき、作業に取りかかったら、合間に休憩はなるべくはさまずにとことん没頭したい、息抜き下手だ。

受験が終わって周囲を見回すと、大変だったのはみな共通だとしても、ひょっとして他の誰よりも自分がしんどがっていた気がしてくるのは、おそらくその性格によるものが大きいかもしれない。
自己分析すると、つまり目標に向かって突き進む意志の強さと集中力はあるのだけれど、長期戦を見越したペース配分が苦手なのである。走りはじめたら、ゴールまで一気に駆け抜けたい。そういう極端なところがある。

その性質は、編集者についてもらいながらも一人で一冊を書き上げるような仕事のときはとくにデメリットは感じないし、むしろ原稿が早いと喜ばれることの方が多い。
けれど受験生の親という任務には適性がなかったなと感じるし、2年半という期間も長すぎた。

だって、受験をマラソンにたとえたら、レースの走者は子どもなのだ。
親は、後ろから自転車でついていってメガホンで声をかける監督であって、本来は一歩引いたところで、走者の様子を伺いながら、ペースダウンを指示したり、休憩をはさんでリラックスさせたりということをするべきなのだ。どんな受験本にもそう書いてあるし、わたしも頭では理解していたつもりだった。

それが、紆余曲折あった末(つまり娘がわたしと一緒にやりたがったため)に「親子つきっきり勉強」というかたちをとったせいで、自分まで選手のような錯覚に陥ってしまった。
そこで娘と呼吸を合わせて走る難しさや苛立ちも重なり、しんどさがさらに倍増したのではないか、と思っている。

食堂のごはんに救われて


そんなときの料理危機を救ってくれたのは、夫だった。
最後の1ヶ月、わたしは体調を崩したせいもあり、ほとんど料理をしないで過ごした。

この時期、夫がつくってくれた日々のごはんは、ささくれだったわたしの神経を鎮めてくれた。
夫は『深夜食堂』の大将気取りで、「常連客二人だけの食堂だよ」と言いながら、毎晩おいしいごはんをつくって出してくれた。
料理ができる人と結婚してよかったなぁと心の底から思ったし、もしそうでなかったら、今こうして家族3人で受験を振り返りながら喜びをかみしめることはできていないかも、とも思う。

在宅ワーカー歴が長いわたしは、仕事でヘトヘトに疲れた後にふらっと立ち寄るようななじみの店をもたずにここまで生きてきたけれど、何もやる気が起きないくらいに疲れてしまったとき、そんな体を癒してくれるごはんは、自分ではない他の誰かがつくってくれたものなんだ、と知った。

最近はまた料理をしたくなっている、少なくとも、先月までのように料理が面倒でたまらないとは感じていない自分に気づき、受験のあいだ遠くへ飛ばされていた自分の核のような部分が、いつのまにか体内に戻ってきてくれたのを感じる。

子どもの受験くらいで何を大げさな、と思う人もいるだろう。
わたしも自分が体験しなかったら、こんな文章を読んだら、きっとそう思ったに違いない。

でも体験した人なら、きっと多少は共感してくれるんじゃないかと思う。
こうして大人からじわりじわりと冷静さをうばってしまう、一種「異様」ともいえる特殊な性質こそが「中学受験は親子の受験」とよばれる所以だということに。

でもなんとか、おかげさまで、生還した。
4ヶ月ぶりに禁を解いたお酒は、終了当初は正直あまり味がしなかったのだけれど、最近はものすごくおいしい。
そんなときも、「おかえり、わたし」と、心のなかでつぶやいている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?