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外資系メーカーから転職して4ヶ月で解雇され、次の会社倒産して、今ニューヨークで働いている私の自己紹介

自己紹介を書いたほうが良いということをnote公式から学んだので、早速書いてみようと思う。振り返るとこんなはずじゃなかったことの繰り返しで今ニューヨークにいるので、「人生はまさかの連続なんだなぁ」としみじみ思う。感慨深い。

書いていたら結構長くなってしまったので、目次を載せておきたい。

1社目:新卒で外資系消費財メーカーに入った

大学院では言語情報学を研究し、卒業後は外資系消費財メーカーのIT部門に入った。ちなみに理系ではなく文系だが、理系寄りの研究をしていたのでご縁があったのかなと思う。当時はリーマンショック直後の就職氷河期で世間は暗い雰囲気だったが、私は就活に関しては強運の持ち主だったため、すんなり第一志望の企業に内定をもらうことができた。逆に言えばこの時に運を使い果たしたので、その後仕事に関しては“事件”が多いのかもしれない。

この外資系消費財メーカーではプロジェクトマネジメントの経験積んだ。この会社の仕事と環境は私には合っており、多少波はあったが概ね有意義な時間を過ごすことができたと思う。ただあまりにも居心地が良かったため、5年ほど経つと恐ろしくなってきた。このまま井の中の蛙になるのではと思ったし、この会社は既に世界的な大企業だったため何をやっても80点を90点にする仕事のように感じられた(実は80点ではなく60点くらいだったと辞めてから気づいたが)。これは決して悪いことではなく、素晴らしいことに違いないのだが、私は0点を50点にする仕事がしたいと思うようになっていた。

2社目:外資系飲料メーカーに入ったら4ヶ月で解雇された

そんな時「アメリカの飲料系メーカーが日本進出するから初期メンバーとして入らないか」という話を頂いたので、渡りに船だと思い、すぐに転職することに決めた。日本支社立ち上げの仕事だ。この会社は社長をはじめ、メンバーは本当に素晴らしかった。有名企業のCレベルや役員経験者が揃っており、当然私は一番下っ端だったが、とても対等に真摯に接してくれて、日本法人を絶対に成功させるんだというエネルギーに満ちていた。6名が狭いオフィスで膝を突き合わせて仕事をする様は、まるで家族みたいだった。

ところが入社してわずか4ヶ月後に事件が起きた。なんと本社に日本支社をクローズすると言われたのだ。前職では大企業でぬくぬくと過ごしていた私には衝撃だ。そもそもこの飲料メーカーだって本社のアメリカには5,000人以上の社員がおり、アメリカで知らぬ人はいないほどの大企業なのである。それが満を持して日本進出するってのに、もうクローズするってどういうこと?もう立ち上げ準備のために数億円使ってるんですけど……。

理由は簡単だった。日本支社はまったく悪くなく、アメリカ本社がファンドに買収され、経営方針が変わったのだ。あるあるの話だが当時の私にはあるあるでも何でもないため、「一度進出するって決めたんだから数ヶ月で方針変えるなよボケ」と思い、早くも前職を辞めなければ良かったかもと不安になっていた。私の不安をよそに本社の動きは早く、解雇を告げられた当日にオフィスから出ていくように指示された。その進め方があまりにも鮮やかで、「おー、これぞ外資系っぽい!」と妙な感動を覚えていた。しかし感動している場合ではない。次の仕事を見つけないと無職になってしまう。

当時は半ばパニック状態だったが、この経験は冷静に後から振り返るとそう悪いものでもなかった。まず予想外の出来事に対する耐性が付き、何事にもほとんど動じない強靭な精神力を手に入れた。何が起きても「あの時よりはビックリしないな」と思うからだ。さらに外資系でありがちな“パッケージ”(これだけあげるから文句言わず辞めてねというお金)が出たので、約4ヶ月の労働でほぼ年収分を稼ぐことになった。労働としては非常に効率が良かったと言える。

3社目:日系のスタートアップに入ったら倒産した

そういうわけでしばらく働かなくても生きていけるお金はあったのだが、私は結構働くのが好きなため、すぐに転職することにした。そうして決めたのが日系のスタートアップだった。また懲りずに0から1を作る仕事がしたいと思ったのだ。ちなみに同時に解雇された前職の社長は「もう0からやるのはコリゴリ」と言って大企業へ戻っていった。私はまだ若いのでリスクを取ったわけである。

このスタートアップは知名度は低かったが、知る人ぞ知る存在だった。なぜなら、資金調達額がスタートアップにしてはかなり大きく、通算100億円を超えていたのだ。この規模のスタートアップは日本にはそう多くないだろう。さらに、世界でまだ誰も開発に成功していない製品を作ろうという挑戦的なビジョンがあり、私はそのスタートアップらしいチャレンジ精神に惹かれたこともあり入社した。

結論から言うと、コンセプトは非常に面白い会社だったが、潤沢な資金の使い道を間違えた、一部不穏な人たちがいた、世界で誰も開発に成功していない製品を開発するのは思いの外至難の業だったという3つの合わせ技で見事に倒産した。この会社で学んだことは多いが、一番は「倒産しそうな企業の特徴を掴めるようになった」ということだ。辞めた後に倒産関連の書籍や記事を読んだら見事にこの会社で見たことに当てはまっていたため、倒産する企業は数多あれどそれなりにパターン化されているんだなぁと感心した。しかし百聞は一見に如かず、身を持って理解することができた。

倒産した時は、冷たいようだが正直「ついに倒産したか」としか思わず、2社目の“ある日、本社から人事が飛行機で飛んできて解雇された事件”に比べたら何の衝撃もなかった。そもそも私は倒産1ヶ月前に今の勤める企業に転職していた。もちろん倒産することを予期していたからだ。2社目の飲料系メーカーで培われた危機察知能力が存分に活かされた結果と言える。

4社目:ニューヨークのスタートアップに入って現地で働くようになった

ニューヨークで働いていると「どうしたらアメリカで働けますか?」という質問を受けることがあるが、残念ながら「こうしたら働けるからぜひチャレンジしたら良いと思うよ」とはまったく言えないのが現在のアメリカの状況だ。個人的には“いつかアメリカで働いてみたい”と頭の片隅ででも考え続けている人やIT系の職種の人は、一度アメリカで働いてみるべきだと思っている。しかし現実はそうすんなりはいかない。この話は長くなるので、また別の機会に書きたいと思う。

さて、そんな難易度の高い状況で、なぜ私のような特筆すべき能力があるわけでもない人間が今ニューヨークで働いているのかというと、完全に運が良かったからだ。日本でニューヨーク本社のIT系のスタートアップに採用された後にニューヨーク行きを打診され、会社のサポートでH1-Bビザに応募して一回で通った、まぁそんなところだ。入社1ヶ月後にはアメリカに長期出張という形で入り、その7ヶ月後にはビザが下りていた。そしてコロナの真っ只中に完全に移住した。同様のルートでアメリカで働いている人を私は見たことも聞いたこともないし、会う人会う人に「そんなケースの人初めて見ました」と驚かれるので、レアケースなのは間違いないだろう。私の会社でニューヨーク本社に勤務する日本人は、今のところ私だけだ。

今の仕事は非常にやり甲斐があって同僚も素晴らしい人ばかりだし、何よりも会社を大きくしたいという目標があるので、しばらくはここで頑張るつもりだ。外資系企業の経験はある程度あるものの、アメリカのど真ん中で仕事をするのは人生初めての経験で、毎日様々な発見や感動がある。コロナ禍で世界まるごと大ピンチだが、しぶとく生き残りたいと思う。せっかく始めたnoteにも継続的に取り組んで、アメリカやニューヨークで発見したことを記録していきたい。

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