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「目が見えないけど○○できる」について思ったこと

ありがたいことに、最近はテレビ・ラジオ・ウェブを問わず多くのメディアに出演させていただく機会に恵まれている。私は幼少のころから芸能界にあこがれがあってラジオ番組の真似っこをしたり、歌やギターを練習していた期間があるので、やっとその夢がかたちになりつつある気がしている。
そして、メディアに出演するに当たってついて回るのが、「見えなくても○○ができる」という決まり文句である。もちろん、目が見えなくてもできるように編み出した工夫についても取り上げていただいているので、それがめっちゃ不満というわけではない。
ただ、自分は本当にこのままで良いのだろうかと不安に思うことが多くなった。それはなぜなのか。自問自答をし、時には仲間と語り合って編み出した一つの答えがある。


答えは、「もし目が見えていたらどうだったか?」という疑問にあった

ドラえもんの秘密道具に「もしもボックス」というものがある。もしもの内容を話すと、その世界に連れていってくれる道具だ。
それと同じで、「もしも私が全盲ではない状態で生まれていたら」ということを考えてみた。答えはシンプルだった。私は「ただの声優」であり、「友達の中でちょっとゲームができる人」になってしまうだろう。そこには「見えないことを乗り越えた」という事実がきれいさっぱりなくなってしまうからだ。


かつては抱いていた「視覚障害を持つ○○としての発信を避けたい」という気持ちの正体


今でこそ当たり前になりつつあるが、私は2020年の夏まで、自分の障害を前面に押し出してメディアに出ることに抵抗があった。「視覚障害を持つ声優」ではなく、「たまたま北村直也を調べていたら視覚障害者だったことを知った」という知られ方を理想にしていた。なぜだろうか。
答えはシンプルに「普通の声優として見られたかったから」だった。

特別の先へ


「普通の声優」になりたかったはずの私は、目が見えていたら「普通の声優」として業界で埋もれていた可能性に気づいた。
それが、「目が見えなくても○○ができる」が価値だと言われている根本的な部分ではないだろうか。


それでも、私はここで止まるつもりは全くない。これからは技術での文字通りガチンコ勝負だと考えている。
もし、特別にすごいわけではない飲食店がコピーライターの効果で集客に成功したとしよう。でも、実際に食事をして大したことがなければ二度目は訪れないはずだ。
それと同じで、障害を前面に押し出して認知の拡大には成功したからこそ、ここから先は私の技術が問われている。いわばレベル2からレベル3へのステップアップといったところだろう。

自らの選択を正解にするために

では、最初から視覚障害を前面に押し出して発信をすればよかったのか? きっと、そんなことはない。
それは、先ほどの飲食店の例えと同じだ。5年程度の下積みがあり、そのうえで発信の切り口を変えたことにより、「見えなくても声優ができる。しかも、そこそこのクオリティで」と、あっさり認めてもらえたのではないかと考える。

挑戦を後押しするために発信する


もう一つ、私が障害を前面に出して発信をしようと思ったのは、SNSやメールを通じて多くの質問をいただくようになったからだ。

  • 「どうすれば同じことができますか?」

  • 「諦めてたんですけど、どうやってアプローチしたんですか?」

  • 「生徒や子どものために情報を集めている」


これらのメッセージに回答して、時にはオンライン・オフライン問わず面談をして思ったのは、私の活動を通じて「やりたいことをあきらめずに挑戦する人」が増えればよいなということだ。そして、その思いは多くのメディアを通じて伝わりつつあると思う。本当に感謝したい。


これからも、私を含めて多くの人たちが「挑戦をあきらめない」環境づくりを積極的に続けていきたい。

この記事を書いた人

北村直也(キタムラナオヤ)
声優・ナレーター・eスポーツプレイヤー。先天性全盲。
大学で学んだITスキルを駆使して「世界初の視覚障害を持つ声優・ナレーター」としてデビュー。その後、全盲のeスポーツプレイヤーとしても活動中。各種メディア出演の際は、夢をかなえるためにこれまで編み出した工夫を発信している。

「挑戦をあきらめない環境づくり」を目指して、必要であればITを使った代替手段の提案を行っている。
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