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4年ぶりのインド~ムンバイ(その1)

4年ぶりのインド 今回はムンバイからスタートです。
ムンバイは初めての地、はてさてどんなところなのかしらん。
空港に降り立っての第一印象は都会的。
私の知ってるインドではないみたい。と言ってもデリーとジャイプールしか行ったことがないのだけれど。
あきらかに違う街の匂いがしましたね。

眼下にムンバイが見えてきた。
始めての土地はワクワクするね。


ムンバイの空港内はアート作品がいっぱい


車がいっぱいなのはインドはどこも変わらないね。
クラクションの音さえ懐かしいと思える(笑)
ホテルの部屋から中庭を見下ろす。
旦那の朝食


フルーツおいしそう!
生ものはおやめなさい!と言う人もいるけれど
ここはホテルだし、とフルーツもサラダもいただきました。
4年前の友人の結婚式では何だかわからず、子供たちが持ってきてくれるものを端から食べててもお腹を壊さなかった私なので、ホテルの食事は絶対大丈夫!!
マサラドーサも注文して、さて、チャイはどこだろう?
探すとチャイは外でサーブしてくれていました。
ムンバイは到着が夜遅いこともあり、空港にほど近いホテルを予約。
そんなこともあるのか商用の泊り客が多い印象。
チャイを飲みに中庭に出てくる人も他にはいませんでした。
初めて訪れるムンバイは旅行会社に半日の日本語ガイドをお願いしました。
自分の足で歩かないと本当の街の様子は分からないのは分かっているのだけれど、
初めての街で、このムンバイには知り合いがいないしな~~と、
安心料として、旅行会社に空港からホテルまでの送迎と半日のガイドをお願いしました。

車の中でムンバイの歴史を少し。
ムンバイがその昔ボンベイと呼ばれていたことは知っていたけれど、その呼び名はポルトガル語の「ボン・バイア」(良い港)に由来するものなのだそうだ。知らなかった。
ムンバイは元々は漁師たちのまちで、彼らの信仰していたシヴァ神の妃の名、ムンバからムンバ・アイ(ムンバの母)と呼ばれていたのだとガイドさん。それがポルトガルに売り渡されて、ポルトガル人がボンベイと名付けたそうだ。
その後、ポルトガルの王女がイギリスのチャールズ2世と結婚するときに、今度は持参金としてイギリスに譲られ、イギリスの植民地となる。インドの独立後もそれでもボンベイと呼ばれていたのが、民族主義の台頭から、マラーティ語のムンバイに戻ったそうだ。
一見、他国に支配される前の名前に戻ったようにも見えるが、そんな簡単な話ではないらしい。
そんな訳でムンバイにはイギリスの植民地時代の建物や建築様式も多く残っている。これもムンバイの特徴なのだろう。
デリーやジャイプールと違う匂いがするのはイギリスの建築様式が入っているからかなぁ。。。

ガイドさんと最初に訪れたのがドービーガード
すぐ脇に電車が走っていて隣が駅なんですよね。
そして、この洗濯場も世襲制だそうで、余所者は入れないのだとか。
現在はショップに卸す前の製品洗いの仕事も多いらしい。
これ、新品として売られているのか。。。


隣に見える駅


前に見えるちょっと不思議な形をしたビル。
24階建てのビルに居住者は4名とのこと。
6階までは駐車場、その上には会議室やジムなどが入っていて、
居住スペースはそのまた上なのだとか。

日本は貧富の差がなくていいですね。とインド人ガイドさん。
まあ、インドほどはないなぁ。
でもインドの人は道で寝ている人にも寛容だよね。
少なくとも排除しようなんてしないものね。
雇用を生み出す努力が人口増に追いついていってないんだから
排除のしようもないのだろうけど。
その寛容さは好きだな。適当ともいうのかもしれないけれど^^

マ二・バワンの前で


次はインド独立の父、ガンジーさんのムンバイでの活動拠点「マニ・バワン」へ移動。さらっとおさらいのつもりが疲れてきたので「マニ・バワン」から続きはまた。

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