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緩やかなコミュニティによる未来志向の種蒔き。

こんばんは、佐々木です。
立春も過ぎ、梅の花もちらほらと咲き始め、じきに三寒四温になり、本格的に春の訪れを感じるシーズンまであと少しですね。

節分の日には子どもたちが元気に「鬼は外、福は内」と豆まきをしてくれて、なんとも清々しい気持ちになりました。
さらに、ご近所の"仲良し"のお宅へ伺い、出張豆まきを。おうちの中にも豪快に豆まきをして、とてもにこにこしていただきました。

さて、今日は、先日数人で話をしている中で思いついたことを書き留めておこうと思います。


ランダムな情報に触れたい。

情報に溢れていて、さらに、どんどん自分でそれをぐるぐると気軽に回れる時代。
たぶん多くの人が(意識的か無意識的か)"自分に興味のある情報"や"自分の価値を強化する情報"にしか触れていない。

各種SNSなどによって自分の価値観に近い人や思想が近い人と繋がりやすく、さらに強化が進む。
それはある意味で、"それ以外"を排除することになりやすくもあるのではないかと感じている。

資本主義の論理の中において、多くの情報はなんらかの意図があり、それを"選ばせられてる"というのは、それによって無意識的に様々なものが選択させられていて、それはつまり自分の意志で世界を作っていないということであろうし、そうなると幸福にはなりにくいであろう。

幸せになるためには自己選択・自己決定・自己修正が肝心だと思う。
結果に関わらず「自分で選んだんだから」という納得が大切。肚落ち感。

"選ばされた情報"以外に触れるには、ある程度強制的な「ランダム感」がある状況が必要だと思っていて、私が新聞をとっているのもそこが大きな理由。

今ある自分の発信手段。

私自身、情報を発信するには、このnote、それから各種SNS(Instagram、Facebook、X)をそれなりの色を持って更新しています。

noteでは主に議員としての考えや、解説が必要と思われる町政に関わる事について。
Instagramでは主にプライベートのこと、特に家族のことを投稿。
Facebookでは、noteの記事の拡散と、半分公的な繋がりの方々との連絡や情報共有に。
Xでは、議員としての普段の活動や、ニュース等の感想、あるいは町に関わる情報の速報を。

友人たちとの会話で思いついた。

この町で友人と呼べる人は多くない。
というより、18歳で社会人になった私としては、なにかしらの"肩書"によって出逢った人とは「友人」になりにくいとずーっと感じている。

学生の頃、特に中学校までの"なにものでもない"頃に出逢って意気投合した人とは友人感がすごくあるのだけど、高校以降はなにかしらのフィルタリングのもとで出逢っているので、どこか社会的な付き合いという感じがしてしまうのが正直なところ。

そんな中、川根本町で出逢った人の中でも「友人」と思える人が数人いて、その人たちとなんとなく集まってなんとなく話していた中で(←これが友人っぽい感じ)ぼんやりと思いついたこと。

なにかを期待して、と同時に、なにも期待せずに。

話していても、奥行きを感じきれない。そんな面白い仲間がたくさんいる。
これからも長い付き合いになるであろう川根本町ライフの仲間たちの人間性にもっと触れたい。

若い頃は「アジト」と呼ばれる秘密基地を作って、同世代の10数人がみんなで集まっては酒を飲んだり温泉に行ったり、ばかばかしい企画をやったりしてなかよくやっていた。
アジト時代の仲間は、私があちこちで出逢った気の合いそうな人に声をかけて集まった仲間たち。そこで半ば強制的に出逢うことになった仲間と仲間で勝手に色々な化学反応がおきて、それが本当に面白くて楽しい日々だった。

時は流れ、今。
同世代はみんな子育てや仕事で忙しく、ただへらへらと過ごしてはいられないのが実際のところ。
そんな状況でも、やっぱり仲間とはどんどん話をしたいなと思っていて、その手立てはいつも頭のどこかで考えていて。

そこで思いついたのが、みんなで一つのアカウントで交代で文章を書くこと。
web版アジト?的な。
何人いてもいい。とにかく、交代で書こうぜ!にノッてくれた人で毎日交代で書いていく。
そのメンバーが一つのテーマで一周したら、次のテーマ。

この緩やかな交流を通して、お互いの関係性が
"編まれる"ように、"織られる"ように。

肩書をこえて、友人になれたらいいな。

緩やかなコミュニティによって蒔かれた種が、豊かな未来へとつながったらいいな。

スタートは3月の予定です。
なにかを期待しつつ、と同時に、なにも期待せず。


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