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「対話する」ということ

多様性を認め合うプロセス

デンマークでは、人の数だけ考え方があるのは当然で、みんなの考えをシェアした上で一緒に何ができるかを考えることはとても自然なこととなっている。

それを可能にしている要因の1つが

「対話」

ではないかと思う。

彼らは日常生活の中でも、とにかくよく集まって話をしている。

世代を超え、家族でも友達でも、職場でも、そこに人がいれば対話があると言ってもいい。

健常者と障害を持つ生徒が共に暮らして学ぶエグモントホイスコーレでも色々な対話があった。

学校では週1回グループミーティングがあり、そこでは生徒自身が議題を上げる。

「毎晩のようにパーティーをしている人がいてうるさい」

ということもテーマになる。

「注意するだけでは根本的な解決にならない」

「騒ぎたい気持ちも分かる。時間を決めようと提案してみるのはどう?」

「まず被害を被っている人たちが安心できるように部屋を替えるというのは?」

……とにかく発言量が多い。

でも例え意見が違う人に対しても批判や攻撃的な態度は一切取らない。だから、政治も宗教も、性のこともよく話す。

 ある人がこんなことを言っていた。

「ダイアローグ(対話)とはデモクラシー。デモクラシーとはダイアローグ(対話)だ。話を聞けない人に大した力はない」

誰がどんなアイデアを持っているのかは話をしてみないと分からないのだ。

予め1つの答えがあるわけではなく、対話を繰り返して出た案が進むべき道だと皆が認識しているのである。

それはまるで光のない世界でお互いの存在をさぐるようなものだが、多様な人が暮らすデンマークにおいて、「他」の存在を認め許容する、信頼を築く作業なのだと思う。

2019年8月23日(金)
シルバー新報掲載文(一部追記)



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人生にとってとても大切なことを教えてくれたデンマークでの「ダイアローグ/対話」。精神医療の方の体系的になっている方ではなく、文化として根付いている、食事をするように皆が行うダイアローグを、少しでも感じて、日常に取り入れてみて欲しいと思い、husetという対話会を月に一回開催しています。

ダイアローグが、人とのコミュニケーションにとって、安心や心地よさを作り出すために、とても大切なものであると実感できるはずです。
(息詰まりや、プレッシャーを感じている方は特に)


なにかのヒントになっていたら幸いです。