好きな写真

寝起き。
ふと、もうずっと更新していないInstagramの写真をベッドの中で見返していた。
映え的な要素は一切ないわ、いいねも殆どないけど、
ただひたすら目の前の愛おしい時間を写していたことだけを思って懐かしくなった。

昔住んでた家のベッドからはみ出る君の足
狭い台所で食べた棒アイス



写真を見ると思い出がぶわっと蘇って、何とも言えない気持ちになるのはいつだって季節のせい。


カメラは結局のところなんでも良いと思っていて、一眼でもインスタントでもiPhoneでも。だけど、可愛いとかステキとかお手本がある様な写真じゃなくて、その人が見た、その人が感じたままの写真が好き。


ナチュラ クラシカは初めて自分で自分用に買ったコンパクトカメラで、これだけは唯一今もいつでも撮れる様にフィルムを入れてある。それでも数枚しか取らない年もあるから、現像した時は数年分のお土産を貰った気持ちになる。これは中々良い。


そんなに深く考えてはいないのだけど、
シャッターを切る時は心が動いた時で、
文字を書き起こすのも心が動いた時で、だから私にとって写真は言葉のない言葉と同じ。

写真を撮るとこや見ることを知らなかった頃、誰かに何かを伝えようとする時は絶対に言葉でしかないと思っていたけど、本当の写真はその言葉すら超えることを知った。自身のための記録と、表現するための写真もまた違うのはさて置いてでも、
追体験として撮った人の中に連れて行ってくれる、連れて行かれてしまうそういう写真が好きだ。私もそんな写真が撮れたらいいなと思う。


とこんなことを考えていた朝。

さ、そろそろ起きて珈琲でも淹れようか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?