見出し画像

旅ができるってことの喜びを、あなたへ。

僕は旅ができない。

よく覚えているのは、イタリアのサボナという街に行ったときのこと。
コーヒーを飲みたい。そう思った僕は、それらしい方角へあてもなく歩いた。あいにくSIM代をケチったスマホは繋がらない。15分ほど歩いて、商店の並ぶアーケード街に辿り着く。すぐに一軒のカフェがあらわれた。

お店の中をちらっと確認する。
セルフのよくあるカフェだ。値段もお手頃。いいね。ここにしよう。

でも、足が止まってしまった。あと1歩で自動ドアが反応しそうだ。
レジ係のスタッフと目があう。
身体を恥ずかしさと少しの恐怖が覆う。体温が下がったような感覚。

だめだ。

僕はコーヒーを諦めた。

サボナのアーケード。

ただカフェに入ってコーヒーを注文するだけ。
そのためだけに、僕はまるで女の子に告白するぐらいの勇気が必要だった。

言葉の問題じゃない。沖縄で、夕飯を食べれるお店が居酒屋しかなくて、入るかどうか2時間迷ったことがある。確か、その日は結局コンビニ弁当を食べた。

人目を気にしすぎる性格のせいかもしれない。1人でご飯を食べていたり、コーヒーを飲んでいる姿を、空から眺めている想像をする。その光景が寂しくて、恥ずかしさが身体中を駆け巡る。恥をかくのが怖くて、逃げ出したくなる。
沖縄や、小笠原でダイビングをしたり、山登りだって1人で行った。でも、楽しさより、達成感より、恥ずかしさと虚しさが勝ってしまった。

自分に旅は向いていないんだな。
そう思って、やめてしまった。買ったカメラも売った。





「旅に出ようよ。」

仕事で心が壊れかけていた僕に、あなたが言ってくれた言葉。

あの時、僕は、未経験の業種で、世界一の努力家を集めたような職場に転職したことで、自分を見失っていた。

仕事ができなければ、無価値。
自分が結果を出せないことに焦り、何をすれば認められるのかもわからなくなった。
認められるためだけに動き、喋り、生きていた。

僕は何のために生きているんだろう。
認めてもらえないなら、結果を出せないなら、僕は存在してはいけないんだな。

通勤途中、ハンドルを握りながら、すれ違うトラックが、まるで僕を吸い込もうとするみたいに大きく見えたのを覚えている。

「旅に出ようよ。」

その言葉を聞いて、まるでレンズの絞りを一気に開放したみたいに、視界がパッと明るくなった。
肩にのしかかっていた重りのような責任感がどこかに飛んでいった。

旅に出てしまえば、僕らを縛りつけるものは何もない。
自分に価値があるかないかなんて、関係ない。

ただ生きているだけ。
そんな状態が許されるなんて信じられなかった。
これまで生きてきた世界に、そんな価値観はなかった。

何もできなくても、無価値の存在だとしても、
僕は、存在してもいい。

あなたの一言が、そう教えてくれた。

その言葉にどれだけ救われたことか。





僕らは仕事を辞めて、旅に出た。

まず北海道に行った。あなたが行きたいと言ったから。
キャンプをしながら一周しようとどちらかが言って、もう片方がのった。
ざっくばらんな旅。不安になるくらいの。

その頃の僕は、旅をする理由を欲しがった。
仕事を辞めて、旅なんて自由気ままなことをしている僕は、誰にも認めてもらえない気がしたから。
理由さえあれば、はっきりと説明さえできれば、認めてもらえるはずだから。
お前に存在価値はないぞ、とわめく悪魔は、まだ心に居座っていたみたいだ。

北海道の国道にて。また行きたいね。

その次は青森や、東京に行った。
民泊に泊まったり、車を借りたり。どんどん色んなところに行ったね。

僕の壊れかけた心はすぐには治らず、たびたび軋んで、ささくれみたいに、触れるとちくちく痛んだ。
痛みは自分の中にあって、僕にしか解決できないのに、僕はそれをあなたにぶつけた。
あなたは、受け止めて、一緒に考えてくれた。
その優しさに何度も助けられた。
本当にありがとう。






その次は、ヴィパッサナー瞑想に行った。
10日間、誰とも話さず、目も合わさないで、ひたすらに瞑想をする。
こんなに長い時間あなたと話せないなんて、出会ってから初めてだ。

毎日毎日、自分の体と向き合った。
自分の体が、欲望や嫌悪を抱く瞬間を見つめる。
一瞬一瞬感じるストレスを、心の奥底に押し潰して蓋をする様子を観察する。

勉強するときのストレスは、性欲や食欲を抱くことで消そうとする。
誰かが怒っているのを見て感じるストレスは、全身の筋肉を強張らせてやり過ごす。
迷惑をかけた人に、謝らなくて済むように、その人の嫌なところばかり思い出す。自分が悪いんじゃないんだと思い込みたいから。

10日間の、最後の最後に涙が滲んだ。
僕は、どれだけの人に、迷惑をかけてきたのか。

僕の心は、謝りたくてしかたがなかった。
仕事を辞めるときに迷惑をかけた人たち。
アドバイスをくれたのに、無視してしまった人たち。

その人たちが間違っていて、僕が、僕の考えの方が、正しい。
そう思い込むことで、謝りたいという心に蓋をしていた。

心の扉を開けて素直に生きたい僕と、
扉を閉ざして自分を守ろうとする僕。

その捻れ、歪みが、毎秒、自分を苦しめていた。
苦しみの根源は、僕にあった。

カフェに入ろうとすると、人の視線を感じる。
人の視線を感じると、恥ずかしいと感じる。

恥ずかしさは苦しみだろうか?
無意識の僕は「YES」と答える。

苦しみから逃れたい。
何が苦しみの根本だろうか。
そうだ。カフェだ。

そうして、僕の無意識はカフェを拒む。

僕が死ぬほど生きづらいと感じていた世界は、僕が作り出した世界だった。

瞑想が教えてくれたこの世界の仕組み。
気づいたからにはきっと対処できる。

僕は、生まれ変わった。
生きる術を、ようやく手に入れた気がしたんだ。

旅に導いてくれたあなたのおかげで、僕は生きられるよ。
本当にありがとう。






それからまた僕たちは、たくさんの場所を旅したね。

ふたりで初めての海外は、タイ、カンボジア、マレーシア、シンガポール。
何から何までわからないことばかり。
Airbnbで宿を決めたら、ダニだらけのボロアパートだったり。
割高な換金所でたくさん換金しちゃったり。
水上マーケットに行ってみたら、お金が足りなくてマンゴーしか買えなかったり。

たくさん失敗して、ふたりで笑い飛ばした。
ふたりだから笑い飛ばせたよ。

水上マーケット。おじさんの存在感がお気に入りの写真。

失敗だけじゃなくて、楽しいこともいっぱいあった。
シェムリアップで、子猫を抱き上げて一緒にニャーニャー鳴いてみたり。
ベンメリアで、木漏れ日に合わせて踊ってみたり。
イポーの中華料理屋で、途切れなく運ばれてくる料理をひたすら断ったり。

どれも、観光ガイドには載せられない話。
ふたりで楽しもうとしているから、目につく全てを楽しめる。

ベンメリアの美しさに思わず踊っちゃった。

旅をしているうちに、自分に起こる変化や、もともとあったけど知らなかった一面に気づくこともある。

嬉しさが溢れ出ると、変なダンスを踊りだしたり。
猫派のあなたに感化されて、かなりの猫好きになったり。
以前は固かった表情も、びっくりするくらい柔らかくなった。

屋久島・宮之浦岳の山頂。
壮大な景色に踊ってたら撮られた。

旅に出る前。これでも笑ってるつもり。

マレーシアのイポーで出会った猫。
顔の表情は、本当に柔らかくなった。


どれもこれも、あなたがいたから、僕に起きたこと。
あなたとふたりだから、楽しめる。

本当にありがとう。






今度は、ヨーロッパを回って、オーストリアでワーホリをしたい。
料理が好きなあなたは、向こうの料理とお菓子づくりを学んで、
語学が好きな僕は、できるだけいろんな言葉を流暢に話せるようになる。

ふたりでカフェを開くのが夢だから、
なるべくたくさんコーヒーを飲んで、
できるなら、カフェで働いてみたい。

これまでの旅が、自分の中を見つめるためのものだとしたら、
今度の旅は、自分の外に、何かを見つけに行く旅。

見つけに行くものは、生きる意味とか、人生観だとか、大層なものではなくて。
例えば街で見つけた小さな落書きだとか。
カフェのテーブルに並ぶ小物や花だとか。
僕らのこれからの毎日を彩るためのほんのちょっとのヒント。

あなたと僕の暮らしが、色とりどりに輝くパーツ探し。

僕は、いつのまにか、旅の意味を探すことはなくなった。
そのことに気づいて、また考えてみた。

僕らの旅は、いったいなんなんだろう。

行きたい場所に行く。
暮らしたい場所で暮らす。

僕らはただ、ふたりでやりたいことをやっているだけで。
この生き方に、もし名前をつけるとしたら、旅。

そういうことで、いいんじゃないかなって、思う。

旅なんて僕にはできないと思っていた。
でも、あなたと出会ってから1年半。

ずっと旅している。

行きたい場所。暮らしたい場所。
それはつまり、自分が存在したい場所。

僕にとってそれは、あなたの隣だよ。

一緒に旅してくれて、本当にありがとう。

これからも、いろんな場所に、一緒に行こう。

2019年6月
さゆりへ。なおきより

読んでくださって、本当にありがとうございました。