雑記:言葉の力で曖昧さに向き合う〜飛行機の中で考えたこと

ある男性アイドルグループのファンをやっている。Xを始めてからかな、溢れる情報から身を守るためかどうも物事を極端に捉える癖があることに気づく。テレビの演出ひとつとっても、いろんなコメントを確認してしまう。
面白かったのか滑ったのか、ファンだけの内輪ネタになってないか………

翌日目覚めてふと腑に落ちたのは、
別に無理やり反対意見を想定していちいち自分の立場を打ち立てなくてもいいんだよな、ということ。

攻めた演出への心意気をしかと受け取った。
それを見聞きしたかつての仲間(ファンとしてはどんな気持ちを向けていいか悩ましかった相手)が、思わずこぼした笑顔にほっこりした。他の出演者の協力にありがたいと思った。
少なくとも私は、そう思った。
それでいっか。

真実はいつでも自分が思うより曖昧で、グラデーションの中に存在する。



ところで。
「それってあなたの感想ですよね」、が煽り言葉の定番として昨今の子供の間で広がっていると聞く。この言葉がマウントを取ることを目的に乱用されることは、「曖昧で、ツッコミどころがある」ことの発信者をどんどん弱者に追いやる気がする。
どれだけ優れた研究も、今をときめくスターも、すべては「それって私の感想」から始まるのに。

確かに最近の若者は…といえば老害が過ぎるから自戒を込めていうけれども、皆あまりにツッコミを恐れすぎている。先人が作った陸に立ち、そこから離れられないまま、遠くにある島のことばかり話すのだ。
しかし大事なのは、「どうやってその海を渡るか、泳ぎ切るか」。思考の海を渡ることはくるしい。けど、そうやってたどり着いた場所は自分だけが立てる陸。おいでよ、って他人を呼び寄せることで、みんなが安心して息を吸える土地が拡がる。

「それってあなたの感想ですよね?」とマウントを取ること同じ類の乱暴さを、誰かを傷つけたくないと言いつつ自分が弱者になりたくもないがための「既知の知識・基準だけで足並みを揃える」姿勢にも見つけることができる。
しかし悲しいかな、世の中の多くは何の悪意もなく後者で進捗する(少なくとも進捗しているように、見える)。穏やかでいいんだけど、それを唯一解にすることは自らの感想を携え海を渡る人をいよいよ孤独にする。
私の最近の憂鬱の根本はつまるところ、そんな社会の様相が透けて見えるところにある。


私が推しているグループには、「え、なんであそこに島が見えるのに目指さないん?」と平然と言い切り、暗い海にどぼんと飛び込んでしまうようなメンバーがいる。
そんな彼が必死さのあまり自分や周りに優しくできない時、「ちょっと陸に上がれ」って強く引き上げてくれる人もまた、チームに存在する。

彼らはやたらとトーク番組で不仲や喧嘩の話を面白ろおかしく話してくれるけど、自分(たち)だけの島を目指し海を渡る過程の中で、常に手を取り合って仲良く、なんてそもそもあり得ない。
それでもできるだけ傷つく人がいないようにと言葉と行動を選び取ってきた人たちで、それがいい、めちゃめちゃいい。


そんな推しの尊い関係性と快進撃が、近頃の私の"秘めた憂を攫う"。

noteの記事たちは、そんな自分の「ただの感想」でしかないが、夜な夜な思考の海を彷徨ってたどり着いたひとつの島。躊躇わず飛び込む側であると同時に、傷ついた時の自分や、他の迷える誰かを引き上げる側にもなりたいから、わかりづらい真実をできるだけわかりやすい言葉にして、私だけが立てる陸地を1つずつ整えていきたい。

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