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退職してから解放されたこと

何でもない人になった

ついに、無職になりました。思えば、新卒で就職して23年間、ずっと職業人として暮らしてきたのが、すっかり何でもない人になったのです。

退職してから解放されたことを思いつくままに挙げてみます。

朝起きたときの「はあ~今日も仕事か」の気持ちから解放された
→目覚めの気分がとても穏やかになりました。


仕事以外の何か用事をこなすのに、いかに時間を捻出するか、悩む気持ちから解放された
→通勤の動線が行動の中心となっており、通勤路を起点に、どこへどういう順番で行くかと考え続ける必要がなくなりました。


○○の職員という肩書から解放された
→所属しない気楽さが心地いい。フリーといえば聞こえはいいけどプー太郎ですねw


休みの日に用事を詰め込むことから解放された
→やりたいことをやりたいときにできるので、休息がとりやすいし用事もサクサク済むようになりました。

育児と仕事の2つを手放した

これまでは、職業人として「○○として振舞わねばならない」というのが常に頭のどこかにあったと思います。また、ひとり親で子どもを育てながら働くことは、

仕事の忙しさ+育児の重み+家のこと+自分の余暇活動

これら全てを自分の判断で決めて実行するために、1日24時間をどう割り振って暮らしをまわしていくか常に追いまくられている感がありました。

子どもが熱を出したりけがをしたときは、病院受診や、学校の欠席の調整や、仕事が休めるかの調整や、祖父母にヘルプを出すかどうかの判断などが求められました。

余暇活動を行うには、子どもを連れていけるか、あるいは留守番できるのか、それとも実家に預けるのか、時間を捻出するためにはタイムスケジュールや、食事はどう調達していくかなど組み立てが必要でした。

休日出勤や夜の仕事が入るときは、子どもが小さいときは子守の確保、大きくなれば食事の準備、子どもに仕事のことを理解してもらうための状況説明と事前事後のフォローをすることに気を遣いました。状況が許す場合は職場に子どもを連れてきたり、職場まで子ども一人でバスに乗って来させる練習もしたっけ。

この春、息子は大学生一人暮らしとなり、私は退職したことで、育児と仕事という、これまで人生で大きなウエイトをしめていた2つを手放しました。

何か重要な役割を担っていないと、自分の存在価値が感じられない。という概念はこれまでの自分にも多少はあリました。特に、親であること、仕事をしてお金を稼ぐことは、やりがい有まくりですよね。それを手放すのは想像もつかないことでした。それがなくなった今、暇でしょ!なんもすること無いでしょ!と、言われることもあります。でも、私はとにかく平穏です。何も生み出さない時間も味わうことが楽しい。そして、これからの人生後半、自分のやりたかっとことは何なのか、自分が世の中に役に立てることは何なのか、自分のペースで取り組んでいきたいなと思います。


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