海外ミステリ小説①
子供の頃から海外作家の作品が好き
初めて読んだ本が何だったか、全く記憶にありませんが、読書は好きでした。
小学校低学年の時に学校の図書室で「ロッタちゃんのひっこし」を読んだのは覚えています。
同じ作者の「長靴下のピッピ」は小学3年の時の愛読書でした。
家で、毎月配本される「世界名作集」のようなケース入り、厚いカバーのついた挿絵も素敵な本を何度も何度も読み返しました。
残念ながら一冊も手元に残っていませんが、脳裏に挿絵が今でも浮かぶほど。
そのころから、日本のお伽話より海外の童話が好きでした。
何故なのかわかりません。
高校~大人になって、自分で書店で本を買うようになってからも、9割は海外作家の作品ばかり。
中でも推理小説と呼ばれるミステリのジャンルが好きになりました。
長く続くシリーズ
読んで、すぐに捨ててしまう本と、再読してやはり捨ててしまう本。
時々サイコ的な内容の作品ばかり読んだりもしますが、これも一二度読んだら捨ててしまいます。
保存してあるのは、再読・再再読・再々再読に耐えられる作品たち。
推理小説なので、ネタバレしてしまって最初の新鮮さは薄れても、ストーリーを知り尽くしていてもなお、繰り返し読める作品たち。
こうした作品は長いシリーズになる事が多いようです。
私が保存している、本棚で溢れそうな本たちも、10以上の長いシリーズものばかりです。
この中から、私なりの読書感想を書いてみたいと思います。
記憶だけで書く部分もあれば、本を開いて確認する事もありますが、どこまでも私だけの感想です。
1)リリアン・J・ブラウン~猫は…シリーズ
第一作目が発表されたのは、1960年代ということです。
当時アメリカの新聞社で働いていた作者が書いた、シャム猫ココが事件の真相究明に一役買うという筋立て。
主役はやはり新聞記者の40代男性。
シリーズを重ねるうちに、主役の男性にもココにも大きな環境の変化が訪れますが、一貫してココは賢く猫らしく気まぐれで優雅。
途中から家族に加わるココのガールフレンド、同じシャム猫のヤムヤムと共にグルメを堪能し、主人公の放浪癖に合わせて住まいを転々と変えて暮らしています。
シリーズの後半は落ち着いた暮らしで、お馴染みの近所の人々との交際を楽しんでいた主人公ですが、大きな変化が訪れたところで、作者の逝去によりシリーズは終わりました。
その後どうなるのか楽しみだっただけに残念です。
第三作目が発表されたのが、作者が仕事をリタイヤしてからなので、その後10作20作と続いてきたことを考えたらやむを得ないことなのですが、続きを読みたかったです。
翻訳について
訳者はずっと同じかたで、ご自身も猫と同居されていて猫の描き方はさすがという感じ。
文章の上品な感じも、原作者に通じるところがあったのではないかな?と思います。
原作を読んだことはないですが。
一つだけ残念なのは、訳者も猫と暮らしているのに「えさ」という言葉を使っていたこと。
これは個人の感覚なのでダメという訳ではないですが、私としては動物を「飼う」という表現と共に嫌いな言葉です。
寝起きを共にして、愛情を感じ、なつかれているのを感じている相手に対して、食べるものを「えさ」とか、同居している状態を「飼う」という言葉は使いたくありません。
コージーミステリだけど…
作品は過激な表現がなく、サイコ的な登場人物も存在せず、淡々と読めます。
作者自身も代々同居していた同じ種類の猫と、主人公男性の出会いが第一作目。
愛猫家な作者らしく、猫の描写が何気ないようで猫という生き物の本質を捉えています。
呼吸に合わせて猫の鼻が「シルクからビロードへと」質感が変わる・・・というような描き方が秀逸と思います。
グルメな猫の食事の嗜好がつかめず、振り回されることもしばしばな主人公。
一介の新聞記者では、そうそうご馳走も振舞えません。
シリーズの割と初期の段階で、主人公と猫たちの環境はがらりと変わります。
一貫して変わらないのは、一人と二匹の周囲で事件が多発すること。
それも殺人事件。
コージーミステリですが、まぁ景気よく登場人物が殺人の被害者となります。
シリーズが進むとレギュラー出場するキャラクターが増えてきますが、結構なレギュラーであり、好人物であるキャラクターまで犠牲になります。
作者が記者だった経歴もあり、人物を観察・批評する能力に長けていたと思いますが、小説を書くきっかけが「復讐」が下地になっていて、物語の中である存在を抹殺することで自分の気持ちに整理をつけたというエピソードがあります。
私の感想では、作者の生み出したキャラクターへの作者の愛情や執着というものが主人公と猫たちに向けられるもの以外あまり感じられないです。
特に女性キャラクター達。
主人公の恋人となる女性の描き方が割と辛辣で、欠点が目立ちます。
シリーズ中盤から終盤まで恋人役で登場した女性など、「どこが魅力的なのかさっぱりわからない」ままでした。
終始「音楽的な声」にぞくぞくさせられる、というシーンがありますが、特に美人でもスタイル抜群でもない(どちらかというとぽっちゃりらしい)、意固地でヤキモチ焼き、不摂生で心臓の発作を起こす、主人公の猫は可愛がらないのに、自分で貰った子猫は馬鹿可愛がりする、浮気っぽい・・・などなど。
だからこそ、シリーズ最終作での「変化」の先を読みたかったです。
残念。