細胞

電車には、まばらに人がいる。私はなるべく端っこにいる。そんな人間だ。
同じ車両、対極に、あの人がいた。あの人は、窓の外をぼーっと見ている。あの人はこちらには気付きそうもない。声をかけようか、しかしそんな勇気は無い。そんな人間だ。
冴えない顔の、面皰を一つ引っ掻いて血が滲んでいる、そんな私は一方的に眺める以外方法は無い。
同じ世界の、しかも同じ時間同じ車両にいるはずの、私達は全く別の世界にいる。私には知り合い友人はほんのひと握りなものだから、その中の一人であるあの人の事は一方的に、至極一方的に大事にしているが、あの人は数多い知り合い友人の中の私など、普段は存在も忘れている程度だろうから、そこで想いのすれ違いが起こっている。
駅に着いて、入ってくる人は少なく、逆に降りる人は多く、車内はより閑散とした。あの人はまだこちらには気が付かない。私もいい加減あの人を眺めるのは止めた。あの人と同じように窓の外を眺め、一瞬にして過ぎ去る景色、多くの動物が小さな一つ一つの細胞を寄せ集めて大きな一つの身体を形成しているように、一人一人の別の世界が一つの大きな世界を形成しているのだな、なんて思いながら、喜怒哀楽どの感情も持たず、ただただ無心で息をしていた。
次の駅に着いた。あの人はそこで降りた。降りる瞬間、一瞬こちらをちらりと見た、気がした。しかし、あの人の視界に、一瞬間に、本当に私の姿はいたのだろうか。

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