障がい者の私と、どう向き合って来たかの私 3 未知 2024年3月17日 09:38 障がい者の私と、どう向き合って来たか?の私。障がい者の私と、どう向き合っているか?の私。亜也ちゃんは、未知と考え方や性質がとても良く似ている。健常者とし過ごしてきた亜也ちゃんから。改めても、そうなんだよねって。先日も観ていて、号泣嗚咽した。まだ、その腫れた目が治らないょ。改めても、そうなんだよね。と、それと、西暦2,020年のある日から、そしてつい先日の、2,024年03月15日の金曜日の夜中には、第二の新たにも、考えたことが沢山あった。溢れだして留まることはなかった。きっと亜也ちゃんも私って未知なら、そう、考えただろうと確実に想う。分かっちゃうよ?亜也ちゃん。わたしには、亜也ちゃんみたいな温かな優しいご家族さんはひとりも居ないけど、人間さんの家族はいないけど、人間は、哺乳類科目だから、同じ動物の家族、くまさん達が居てくれている。それだけではない。、毎月15日は、朝から一日中かけてわたしのリハビリの日だと決めている日なのだけど、この日は特別に本当に本当に、わたしは、恵まれていて、幸せだなとかんじた。。未知の行くお外のお店さんのみんなみんなや、いつものタクシー会社さんを決めている女性タクシーの運転手さん達も皆んなみんなが、大人の未知を、まるで子供みたいに好き好き♡してくれる。言うてくれる。沢山分からない事も教えてくれる。愛情をいっぱい!くれる。未知も甘える。ラブレターも書く。ラブレターをくれる。抱きしめてくれる。お手手つないでくれる。未知の身長の半分位あるリュックサックに、買ったものを入れてくれる。みんな、女性だよ。この間のリハビリでは、一番永く未知を知ってくれていて、付き合いが永くて、一番に未知の障がいに気付いてくれたNさんに話した。「未知は家族じゃないのに、 未知をまるで家族みたいに想ってくれて、 ありがとう。ありがとう。」色んなお話をした。Nさんは、「みっちゃんが、心が綺麗だから、優しいから、皆んながみっちゃんを大好きなんだよ。」ニッコリ、そう話してくれた。みんなの好き好きが先日15日の日は、特別にたまらなく嬉しくて、帰ってからくまさんにも口いっぱいお話しした、その日Nさんが、初めて未知を、「みっちゃん。」と呼んでくれた日でもあった記念日でもあった。Nさんは、くまさん達の事もとーっても!大切にしてくれる。くまさんのお話しを、相づち、頷いて「うんうん。」と聞いてくれる。くまさんの親友のインコのピーちゃんのお声が出なくなった時も、お店に泣いて連れて行ったら、お声出ないのを治してくれた。未知が、「またピーが、お声出ないお病気になったら連れて来ていい?」話したら、「いいよ!連れて来てね。」いつも変わりなく優しくてニコニコしている。抱きついちゃう。そんな皆んなみんなが、未知の家族。くまさん達だけじゃない。リハビリの時、お優しくご親切な男性も勿論沢山いらっしゃるが、どんなに大人になっても追いかけられて、幼い頃からずっと逃避行を何度しても探し出され、捕まえられてきた。未知以外のみんなもそうなんでしょ?同じ目にあってるの、怖くないの?今からそんなにも遠くはない大人までそう思い、黙り過ごして来た当たり前だったすべての虐待は何よりも計り知れないが、付き合って来た男性にも未だ残る心的外傷やモラルハラスメントで複雑性PTSDにもなったり、まだまだこわい。男性恐怖症は、大分と、随分と治って来たが、やはり密室は、一番怖い。そんなでも、タクシーは女性運転手さんしか乗れない。電車もバスも乗れない。パニック障がいでも、電車やバスは、乗れない。全ての障がいの核になるのは《鬱》であると臨床で先生が学んだ事を教え話してくれた。「鬱が良くなれば、他の精神の病気も良くなっていく。」話しは、わたしの家族「感」としても戻ると、映画「アンダー・ユア・ベッド」でも、三井(男性)が、「人間はひとりでは生きてけない」、そのことを、(映画の中での)とある実在した実験と、三井の幼少期の体験の回想で、静か静かに、三井が心で話した。わたしは、この映画の登場人物となる千尋(三井自身が話す、三井の人生を唯一幸せだと心から思わせてくれた大学時代の女性)は、またもわたしだった。残酷な話なんだろうか?、虐待や男性に殴られ縛られ支配されている私ではない、虐待や男性に縛られ支配されているそんな私だった事の残酷さではない。先ず、未知と考え方や性質がとても良く似ている亜也ちゃんと言う障がい者の私に、映画「アンダー・ユア・ベッド」を、原作のホラー小説本(KADOKAWAさんから文庫本が2001年刊行)で読むよりも、映画は、自宅の古い映写機や写真や三井の頭の中で同じ場面が想起され続け振り返ってを繰り返す場面と音と静寂と生々しい何の音もないと息づかい観て、三井君が居てくれた「架空」と、そして、ドラマは観てから何年後かの後に知った、麻生君(錦戸亮君が役を演じています。)ですが、「架空の人物」として、亜也ちゃんのお母さんの潮香さんが、せめてドラマだけでも娘の亜也に麻生君の様な存在が亜也についてくれていた事を願ってのドラマのみの配役としての存在だった事。わたしは、私が残酷だとは思わない。お母さんが潮香さんである亜也ちゃんもそうは思わないよ。三井は、「僕は人間を幸せにする方法が分からない」と話していたが、千尋を人間として幸せに出来なきゃ、ラストの表情は、二人に無かったはずだ。くまさん達、お外の皆んなが、家族であることとしっかりと認識出来ている、敢えて、「飽くまで」今のわたしは、残酷だとは思わない。涙が出ちゃうのは、号泣嗚咽するのは、『そこ』ではない私には、そうでない。当事者で居る、当事者である、わたしは。これからも向き合っていく完治しないだろうお病気も、わたしにもある。ビリー・ミリガンもそうだし、治ると信じている。くまさんが「手当て」をしてくれる。だいぶしっかりと歩けるようにもなりました。毎月の15日のリハビリとお家の中でのリハビリで。先月15日の日に、久しぶりに会った(当たった)お母さんみたいな女性タクシーの運転手さんのママさんが、手を繋ぎならも話してくれた。「めっちゃ、前より歩けてるやん!(笑顔)」て。みんな、ありがとう ありがとう。未知. #ドキュメンタリー #ドラマ化 #脊髄小脳変性症 #原作本 #SCD #1リットルの涙 #木藤亜也さん #ドラマ化は2005年 #沢尻エリカさん #錦戸亮君 3 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート