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人間としての形を保つための言語化(家族への憧れ、家族への憎しみ)

まず初めに伝えたい。これは私の思考です。
他者に向けた文章ではありません。つまり、読むことを推奨はしません。
自分から自分に宛てた問いであり、その返事です。
何かの結論や為になる解でもなんでもない。言語化のツールとして、noteという場を借りています。

公共のツールを使わせていただいているので先に書いておきます。
これは、誰かを傷つける為の文章ではなく、自分の為の文章ということです。私という人間の脳内がただ日本語に翻訳されているだけであり、なんの役にも立たないです。
そして、やむなく激しい表現が出ます。
もしも読むという方は、お気を付けください。

誰に何を言われてもかまわない。自分から自分に宛てた手紙。登下校道の独り言です。

ただ最近、あまりにも自分の脳が私の言うことを聞かず、何を考えているのかも良く分からなくなってきたので、言語化の必要に迫られてこのツールを使っています。
要するに自分の脳に「おい、どうした?」と問うている、ということです。
つまり読む方がいたとしても、私への心配は無用です。私を傷つけようとしてくる方、あなたの脳内で完結させてください。宜しくお願いします。
お前こそ脳内で完結させろと思ったあなた。あなたは正しい。正しいことは知っていますので、立ち去っていただいて構いません。私は私の為に書いている。ただそれだけのことです。





最近私の生活は、月~金まで機械となり、土日は一日中家にこもっている。掃除と洗濯、読書と映画。長い長い睡眠。天井から水が落ちてくるので管理人への通話、対応。そんな日々。なんとか人間の姿を保っている。

水槽内の酸素濃度が薄くなっていく感覚があり、これはいよいよまずいぞという訳で言語化を図る。

さぞ支離滅裂な文章となるだろう。自分へ。解読して消化しきれないことを知り外へ出る焚き木としなさい。

ここ最近、誰かと会うたびに傷ついている。

愛したり愛されたり、この社会に着実に歩を進めていたり、なじんでいる姿を見ていると、自分の停滞に気づかされるから。

停滞したのは1か月前くらいか。

私という人間は感情のスピードが遅い。いつも人の悪意に傷ついたりするのは、その事態が起きた何日か後だ。その場では気づけない。

いや、本当は気づいている。でも、その傷を見ないようにしてやり過ごすのが自覚できないくらい上手いだけだ。
その訓練を積みすぎて達人の領域に入った。出来損ないの機械みたいだ。

私は家族愛を美しいものだと思っている。何かに感動する時とは、その人に欠落している何かや大切にしている何かを描いていて、それを見ることができた時だと思う。

この間、4週間ほど前か。目の前で手をつないで歩く父と子を後ろから眺めていて、ふと涙が出てきた。感情はくやしさだったと思う。父親に対してでも子どもに対してでもなく、「幸せな家族」という概念が今この瞬間に成り立っている目の前の彼らの背景が羨ましかった。
私もあなた方のようになりたかった。
もう27になり、そんな感傷に浸る年ではないというのは百も二百も千も億も承知だ。だがそう思って人を馬鹿にするあなた、そうあなたは、即刻ここから立ち去ってくれ。あなたとは対話が難しい。

そう、私は家族像、というよりは命を賭しても大切だと言い張ることができ、行動として守りたいと思うことができるような人間像に憧れている。象徴としての家族、パートナー。

しかし一方で、沼の底のような、泥を泥で洗うような家族像を、愛情というきれいな言葉でコーティングされた執着を、支配を、憎しみを、嫌悪している。

家族が羨ましいのに家族を憎んでいる。

家族を美しいと思うのに、いつか壊れるとあげつらって笑っているところがある。

家族を美しいと思うのに、情緒的なつながりの頼りなさで、たやすく悲劇を産み出す、むしろ恐ろしいものだと思っている。すべての元凶だとも。

この矛盾。

また話が変わる。昔の話をする。

私は、父と母が好きだった。

母は、私が3歳頃から女手一つで私を育ててくれた。
理不尽なことや悲しいこともあったけれど、私という存在がある限りは彼女の存在と私は切り離せない。そういう意味での感謝はある。存在レベルでの感謝。
地球が無ければ海も森も山も湖も、月も太陽も草原も夏の風鈴も秋の紅葉も春の桜並木も冬の暖灯も、その概念すら成り立たない。そういう話だ。

そう、私は母が好きだった。

母が父と離婚して泣きながら私と姉を育て、叔父と祖父も何ならセットで連れてきて殴り合ったり、知らないおばあさんの家に居候したり、ママ友の悪口の対象となりわざわざ私に情報共有してくれて肩身が狭くなったり、引っ越しが重なり転校を繰り返し先生等々から好奇の目で見られいよいよ誰からも嫌われるわけにはいかない状況になった私に呪いの言葉をかけ続けたりしたことも、私はもう怒っていない。なぜだと思う?

期待していないから。諦めたからだ。

私がもう母を諦めて連絡を閉ざし再会を辞めた理由。私が大学生になり父の家へ出た頃、母と叔父が一緒に暮らしていた。

母は「私と兄もお父さんの家に行き、みんなで暮らそう。それが〇〇の為でもあるの。」と絶望的な呪い(彼女にとっての希望)を唱えていた。

母は、「家族」という呪いに縛られていた。

おそらくその原因を私は知っている。幼い頃から母からよく聞いていた話。

母の母親、つまり私の祖母は母が若い時に死んだという。

母はよく、「私はお母さんが大好きだったの。お母さんの為なら家事でもなんでも喜んでやったなあ。お母さんが入院してからは、お見舞いに毎日行って、家の家事は全部私がやったの。家は男の家だったからね。お客さんにお茶出したり。でもお母さんが大好きだったから。お母さんが死ぬ時にね、私に『家族のことはよろしくね。(任せたよ、だったかもしれない)』と言われたの。それを今でも覚えているの。」と話していた。

でもだからといって、クズで暴力も振るう叔父や話が分からない父に執着する必要なんかない、私や姉がいるのだからそんなに悲しい顔をしなくて良いじゃないか。なんで辛い顔をしているんだ。

私は社会人になって大手商社に入り、金を稼いでやりたくなったことが一つだけあった。

母がいつまで経っても叔父と暮らし、時に殴り合い包丁がどうだの、物を投げられ顔に傷がついただのやっているから、15万くらいかけてマンスリーマンションを借りた。奨学金を満額借りて毎月返済している自分にとっては大した金であるが何の迷いもなかった。

とにかく、母を家族の呪縛から引きはがしたかった。

あなたは強いのだから、1人でも人生を楽しめるし、きれいなのだから再婚でもなんでもすればいいんだ。

家族の幻想を見続けて成しえないことを私と姉にぶつけて一生を終えるぞ。私も姉ももうそれが分からない馬鹿にはなれないしあなたに付き合うのも限界なのだから。

死んでもいいくらいに苦しかった。母に幸せになってほしかった。

私もギリギリにいた。なんとか存在しながら社会に紛れ込んでいた。
もうダメだった。もう付き合えない。だから、母に気づいてほしかった。

母を助けたかった。

母は始め、「そんなのいらない」と拒否していたが、私は分かっていた。母に必要なのは一人の時間と空間と、自分だけを見つめる機会であると。だから強行した。そして「部屋は勝手に借りるからあとは勝手にして」と鍵を渡した。

それが私の、この人生でやりたい唯一のことだった。

母はやはり私の借りた部屋に住みはじめ、文章を書いたりして過ごしたという。「こんな時間は人生で初めてだった」と言っていたという。

しかし、彼女はその後も離婚した父に執着し続け、叔父と暮らす環境に戻った。

私はこれ以上もうできることはないと思った。もう私が彼女を手放すしかない。そう思った。

私がどれだけ彼女を思って行動しても、彼女が選択を変えない限り、何も変わらない。

私以外の家族は、母にそういったことはしていなかった。彼、彼女等は、自分を幸せにすることにしたようだった。

父は勝手に呆けて弱くなり、「自分は子供になった。親が〇〇だ。逆転しちゃったね。」「色んなことを乗り越えているからね」と私の過去と今を勝手に捉えてなんか生きている。「若いとき、良い会社に呼ばれてたんだよ。あの会社に入っていれば」「ギターを練習していれば」「女は怖いぞ。暴力も振るうからな」とくそみたいな言葉を吐いている。勝手に元気に生きろよ、と思っている。


家族。


ちょうど1か月ほど前、父と母から連絡が個別に来た。「父の日」や「母の日」に触発されたのだろうか。
手紙や食べものが郵送されてくる。

それらで私の思考が完全に止まった。

脳よ、これがお前の本音だろう?

だから外に出て幸せそうな人たちを見ると傷がつつかれているような気持になるんだ。

人間としての形を保ちたい。

でも、人は心の生き物だ。

くそだ。

父母からの連絡に応えたくない。もう連絡しないでほしい。

謝られたくもない。こっちが悪者みたいになるから。

だが、ここから逃げて私はこの先誰かとつながることなんてできるのだろうか。

助けてほしい。

人が時に思考を取り留めもない段階でうやむやにする理由は、
自分や世界を否定したくないからだと思う。

でも、うやむやの思考の中を行ったり来たりする中で、明快な答えが一瞬見えることがある。
うやむやを言語化して現実を見ることは無意味ではないと思う。

ああ。明日からもただ生きる。スーパーに買い物に行かなきゃと思えている。
だから、まだ大丈夫だよ。


今夜はレイトショーでも見に行こうかな。


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