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〈回避型愛着障害の僕の失恋について〉

こんにちは!
タイトル通り、傷心中の謳歌です。笑

落ち着く為に、言語化してみます。
ポエムだと思って、笑って読んでくれる仲間がいたらうれしいな。笑
そう思っています。

まず、僕は恋愛感情というものは、一過性の錯覚だと思っています。
そしてそもそもこの世界や人間の感情自体を、あまり信用できていません。
イメージ的には野良猫みたいな感じです。
回避型の愛着障害を持つ方は、きっと分かっていただけると思います。
正直に言うと、今は薬を飲まないと世界と向き合えない日々です。

僕は「世界の答え合わせ」が一緒にできる人を探していました。
恋愛でなく親愛で繋がれるパートナーがいたらと。
ダメ元でしたが、切実に探していました。

僕にとって、「対話ができる人」というのは貴重な存在です。
対話ができるということは、この世界の答えを二人で模索して、作ることができるということだと思います。
社会にとって例え間違いとされてしまったとしても、互いの信念や考えで導いた答えを分かり合える。
その可能性があるということだと思います。

例えば、僕は出世や地位、お金儲けなどにあまり関心がありません。
恋愛も、そんなに関心は無いです。
同性愛者ということでもないですが、そもそも恋愛感情があまり信じられないからです。
でもこの社会は、無遠慮にそれらを良いものとして押し付けてきます。
あまりに遊ばない僕を見かねて、女性を紹介しようとしてくる人もいます。
そういう人には彼女がいると嘘をついてきました。
過去に恋人がいたこともありますが、基本的に女性に好意を向けられたときは、付き合うまでは決していかないようにしてきました。

僕にとって、性的な関心よりも、「対話を通して互いの世界観を分かり合えること」が何より重要です。
社会にとっては間違いでも、その人との間で正解になれば、どれだけ生きやすくなるだろう、と思っています。

だから、僕は彼女のことが人間として好きでした。
対話ができるからです。
一緒に話をしていると、微妙な言葉のニュアンスの漏れや誤差を「うーん。そうじゃなくて、こうなんだよね」と訂正し、彼女なりの言語化をしてくれます。
僕も、彼女になぜか嘘はつけませんでした。だから自分の思いを率直に伝えていました。
その思いを、彼女はただ否定せずに聞いて、思ったことを話してくれました。
僕にとってそんな人は、あまりこの世界にいません。

対話をする度に、彼女が好きになり、同時に話すことが怖くなっていきました。
期待している自分を自覚し始め、裏切られる怖さが想像できてしまっていたからです。
精神的な余裕が徐々に無くなっていきました。
ここが、いわゆる普通の人と愛着障害のある僕の、違うところだと思います。
あんなに楽しかったのに、それが恐怖へと変わっていく。
でも、彼女との関係性を終わらせたくはありませんでした。

精神的な余裕が無い中で、彼女に「人として好き」であること、「対話ができる」ことが自分にとってはすごく珍しく、うれしいということを伝えました。

彼女は、対話ができることを僕よりも重視していませんでした。
人の抱く好きという感情はシステマチックなものだと考えていること、人が時間をかけてきた選択や言動に惹かれるということを話してくれました。

極端に拒絶された訳ではありません。
ただ、シンプルに求めるものが違っていました。


僕と彼女は、前提が違っていました。

彼女は、対話できる人には困っていなくて。
この世界を、誰かがいなくとも自分で見ることができる。

彼女は、他者を必要としていない。
僕は、他者を必要としている。

彼女には、精神的な余裕があった。
僕には、精神的な余裕が無かった。

それだけの違いだったのかな、と思います。

僕は人に縋りたかったんだと思います。
自分一人で生きるのが難しかったからです。
性的なつながりはあまり必要としていなくて、正直恋愛なんてどうでも良かった。
一緒に生きていくために、手を組める相手を必要としていました。


対話できる人が、僕にとっての好きな人。
その人と答え合わせをしながら社会の中で生きていくことが、僕の生きていきたい人生。

言語化して頭を整理してみました。
正直、分かり合える可能性を持っていた人に必要とされなかったのはキツいです。
この記事も、四つん這いになりながら書いています。笑

でも、愛着障害を持つ自分でも、誰かに手を伸ばしたという事実だけは、肯定したい。

それだけが矜持です。笑

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