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飲み込もうとした感情を、どうにかして表現してみる



朝から1日かけて、動画の撮影をしようと起きたての頭の中で意気込んでいた。どんなふうに過ごそうか、どんな場面をキャプチャーしようか、アイデアはすでに複数ある。
あとはその場の雰囲気で足したり引いたり。それが私にとっては1番大切で、楽しい部分。

このところはコンテンツづくりを今までよりも楽しんでいる自分がいて、それがうれしい。やるべきことを少しずつ進められていて、さらにそれを楽しんでいるなんて、今年に入って1番調子がいいんじゃないか。



そんな私の満々だったやる気は、その日の朝、夫の本当に些細な一言(本当のことを言えば一言以上だけど、大人になろう私)、そしてその態度で粉々になった。本当に腹が立って、それでその1日を台無しにしてしまった。


思いっきり気分が悪かったので、それをそのまま表情に出して、怒りで口がなかなか開かないから無理せずそのまま、言葉少ない態度でいた。リビングは居心地が悪くなったのでエアコンのない自分の部屋に閉じこもって、滝のように汗をかきながら、時間を溶かすのにちょうどよいYouTubeの動画を眺め続けた。
正直「これ、なんの時間や」とあほらしくはなった、もちろん。しかしこんなときに時間をうまく使おうだなんて思わない。ただ時間と、喉の奥につっかえる苦い感情が過ぎていくのを待つだけ。


嫌な感情には味がある。ベタッと、へばりつくような苦さだ。しかし嫌な感情以外は飲み込む必要がないので、もしかすると全ての感情に味があるのかもしれない。幸せな感情は甘かったりして。でもどんな感情も、飲み込もうとしたらそれは苦いものに変わってしまうんじゃなかろうか。幸せを飲み込まなきゃいけないなんて、悲惨だもん。


自分の部屋でむすっとしながら画面を眺めている自分の姿を頭の中で俯瞰してみると、週末が来るたびに父と喧嘩して自分の部屋に閉じこもっていた母のことを思い出した。そう考えるとこうしている自分への嫌悪が膨れ上がる。でも私の心の奥底がそうしたいと、そうしなきゃと思ったんだから、誰に似てようが似てまいが、ただそうすればいい。私の方がまだましだって思いたいがために、部屋のドアは開けておいた。閉め切ったらさらに暑いだろうという理由もあったけど。



結局この日は何にもならない、有意義には程遠い1日となった。YouTubeの動画も前もってスケジューリングした日に上げられそうにない。自分の機嫌さえ無理していい方向にスイッチさせていれば、作業を進めたり楽しい時間を過ごせたかもしれないのに。
でも、これでよかったのだ。だってこれは私の中の小さな抵抗だから。私を腹立たせる言葉を放った夫への抵抗ではない。何かにつけて我慢して、飲み込んでしまう自分自身への抵抗。

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