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誰にもシェアされない時間こそが大切


実は先週でこのnoteのマガジンを始めて1年が経ちました。
いつも読んでくださるみなさん、本当に本当にありがとうございます。


1年前とは書くことへのテンションも書きたいと思うことも、思い描いていたこのマガジンの形も大きく変化しています。文章を書き続けることの大変さとか、どんなふうに話を広げようかとか、やればやるほど課題も見えてくるし、やればやるほど自分が普段読者として触れているすばらしい作品との距離を感じたりして。(もちろんやる前から莫大な距離を感じてはいたのですが、やればやるほどさらに距離が開いていくような気が・・・。)やってみる前とやっている最中に考えることは何においても違うようです。(本当にやってみてよかった!)


でも、いつか「誰かに求められて書く」ということを仕事のひとつにできたらなという思いは変わっていません。人の気持ちなんてどんどん変わっていくのだから、やってみて違うと思ってもそれでいいかなってこのnoteを始めるまで思っていたにも関わらず、そのコアな部分は不思議と変わっていません。


いつも伝えたいことはたくさんあるのですが、それをどうやって読み物という形にするかに頭を抱えています。そうして書きかけの文章がどんどん溜まっていって、気がつけば月末。書いている間に自分の中で”賞味期限”のようなものが来てしまって、誰にも読まれずに私のPCの中で眠るドキュメントが数知れず。ま、それもまた別のタイミングで形を変えて読んでいただけるようにできることもあるのでいいのですが。でも、しっかりと「書き上げる」体力とか瞬発力みたいなものをつけるのが2年目の1番大きな目標になりそうです。


だいたい書きたいと思うことはシャワー中に思い浮かびます。湯船に浸かってるときでもなく、ドライヤーで髪を乾かしているときでもない。不思議なものでピンポイントに、シャワーを浴びているときです。(この前読んだ本にシャワー中はアイデアを思いつきやすいというデータがあるみたいなことが書いてあって、私だけじゃないのか!となった。)で、思いついたら忘れないようにメモをとる。ほぼ毎日つくっている”書く時間”にメモをもとに文章にしてみる。その繰り返し。ちょっと前まではそれでいけてたのですが、最近はちょっとそのサイクルがぎくしゃくしてきています。

「文章ってどうやって書くんだっけ?」


と首を傾げることが増えたのです。書いた文章を読み返しても、理想とする雰囲気じゃないというか、なんか違うなって思えてきて。
のびのび書いてたときもあったので、そのときとは違う何かが影響してるなと。ずっと考えていて、これまた昨夜のシャワー中にひらめきました。

「私の生活は書くことが前提になりかけている」と。

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