自分で選べること、選べないこと
なりたい自分になれる!
だなんて信じながら最近まで生きていて、それこそnoteの記事なんかにも「私は自分で選んで今の自分になった」などと書いたりもしてきた。
もちろん、
「人生、なんでも思い通りになりまっせ!」
と言いたいわけではなかったんだけど、でも選べなかった部分(思い通りに行かなかったこと)も多く存在するこの人生を生きておきながら、その「選べなかった部分」に着眼しないのも変な話だよな。自分で選択した以外にも、人に与えられて思いがけず自分の身になったこともあれば、誰かや何かに選んでもらえなくて選択した道を閉ざされた例も少なくない。自分の人生、自分の意思で生きたとしても、そこにはいつも「結果」など、外的要因から望んだ方向に進めないということがつきまとう。意思通りになる結果があれば、ならない結果も存在する。
行きたい方向に向かって歩くことはできても、最終決定をくだすのは自分ではなく他者であることが多い。わかりやすい例だと、受験とか就職とか結婚とか。
そんな中でつい数ヶ月前、このnoteの記事で「自分で選んで自分になってきた」と偉そうなことを書いた自分が信じられなかったりする。いや、先にも書いたように「自分ひとりで全部選んできた」みたいなことじゃなくて、「選べることは選んできた」ということだったのだけど、なんか傲慢だったかもな。そんな反省と共にこの記事を書いている。
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みんな大小さまざま、たくさんの選択をしながら生きてる。
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