自分を認めて、上手に付き合っていこうと思った話(12/100日)
「算命学ってすごいんだよ。向いてる仕事や、今後の人生で気をつけること、全部わかっちゃうんだから」
さとゆみゼミの途中で、そんな話を聞いた。えっ、なにそれ。すごいな。何より、楽しそう!……というのが、率直な感想だった。
ゼミの同期であるあおもんさんは、算命学鑑定を行っている方。恥ずかしながら、算命学とは?なんぞや?ということはまったく知らなかったわたし。しかし自分でタロット占いをかじる程度には、「わかっちゃう」系の話が好きなのだ。当然、興味津々である。
というわけで、あおもんさんに直で連絡し、鑑定をお願いすることにした。
ここからは、実際に鑑定を受けたわたしの感想である。理解が追いついておらず間違ったことを言っている可能性もあるので、あくまで「ほーん、アンタはそう思ったんか」くらいの温度感で聞いていただけると幸いだ。
算命学では、生年月日をもとに作成する命式をもとに、その人の生まれ持った「星回り」を見ていく。でも、それだけではない。生年月日だけで判断したら、同じ日に生まれた人はみんな同じになってしまうからだ。あおもんさんは、「算命学は家族の学問だ」と言っていた。両親や、そのまたもっと前の先祖から連なってきている「気」が、生を受けたときに自分の中に流れ込んできて、それを含めてもろもろが決まっていく。
詳細は伏せるが、わたしは今回、「仕事」と「プライベート」の2つについて見ていただいた。はじめに丁寧なヒアリングがあって、それから、「星回り」と照らし合わせながら「なおちゃんが持っている星はこうだから~」と説明が始まる。
たとえばわたしには、「間接的に物事を伝えるのが上手」という才能があるそうで、これはライター業ととても相性がいいですね、という話だった。ほっ、よかった。直接的に伝えることは明確に苦手意識があるので、とても納得。
一方で、「自分なりの美意識やこだわりが強く、そこに対するプライドも高い」という話については、「ええ、そうかな!?」と驚いた。正直。自分では、あまりこだわりの強いタイプではないと思っていたし、見栄もプライドもないけどな~、ととっさに感じたからだ。
ただ、後から考え直した。「そうかも?」と、あっさりと手のひらを返したわけだ。
ゼミ中にさとゆみさんが、「緊張するのは、失敗するのが怖いとか、自分を良く見せたいとか思っているから」という話をした。わたしは結構な緊張しいなのだけれど、正直なところ、そういう意識は持っていなかった。失敗は誰しもあるし、むしろそれを経ないと得られないものもあるだろう。それにわたし自身は最初っからポンコツなので、今更良く見せたいとも思っていない――はずだった。でも考え直すと、決してそうではなかったのかもしれない。
なんだろうな、説明が難しいのだけれど。わたしは、自分が50だとして、「100に見せたい」とは思っていない。そういう見栄を張りたい欲はない。でも「絶対に平均50を下回りたくない」とは思っている。だから、大きく失敗することを実はとても恐れている。いつでも平均値を取れることが、自分の唯一の取り柄だと考えている節があるからだ。そういう意味ではこだわりが強く、プライドも高い……といえるのかもしれない。
というのが、ゼミ後半でのわたしの気づきであった。算命学でも、それに近しいことを指摘されたような気がした。
算命学は「良い悪い」を決める学問ではないのだという。プライドが高いのはダメよ、という説教ではなく、あなたはそういう性質を持っているから、うまく付き合っていこうね、という感じなのだろう。
わたしが、わたしと、上手に付き合っていく。体とも、心とも。死ぬまでわたしであることからは離れられないのだから、折り合いをつけながら、うまくやっていくしかないよね。そんなことを、思ったのだった。
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