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くりかえす、おわりとはじまり(23/100日)

客が2人も入れば、ぎゅうぎゅうになってしまう店内。照明はどことなく薄暗く、店員はおじいさん1人。いつも店の奥の椅子に腰かけてぼんやりしていて、客が来たときだけ立ち上がる。

わたしが初めて近視用の眼鏡を買ってもらったのは、小学2年生のときだった。学校の視力検査で視力の低下が発覚し、眼鏡を買うように、と言われた。当時は両親だけでなく、祖父母も一緒に住んでいた。「眼鏡を買うなら」と、祖父が連れて行ってくれたのが、駅前商店街の一角にひっそりとたたずむ、古ぼけた眼鏡屋。店頭に大きな看板もなく、入るまで何屋さんなのかわからなかった。

当時、あの商店街はとても活気にあふれていた。祖父も祖母も、よくその商店街に足を運んでいて、なぜか知らないがみんな顔見知りみたいだった。あの薄暗い眼鏡屋と同じくらい小さなお店が、いっぱい並んでいた。煎餅を売るお店で、柿の種を買ってもらうのが楽しみだった。

やがて付近に大きな商業施設ができた。そのせいだけではないのかもしれないが、気づけば商店街は当時の活気を失っていた。眼鏡を買い替える時、いつも祖父が店に連れて行ってくれたが、いつからか、あのおじいさんのいる店には行かなくなった。大好きだった煎餅屋も、いつの間にかなくなった。

寂しかった? どうだろう。煎餅屋がなくなったのは、残念だった。でも小学生だったわたしにとって、あの商店街はそこまで思い入れのある場所じゃなかった。それよりも、大きな商業施設ができたことの方がよほど嬉しかったと思う。

――と、そんなことをふと思い出した。今朝の朝刊を読んで。

東北学院大学のキャンパスが、この春から市の中心部に移転された。仙台駅から徒歩圏内だし、地下鉄の駅からも目の前。とても便利な場所だ。

一方以前は、駅からバスに乗って30分以上はかかるだろうか。そんな場所にキャンパスがあった。わたし自身、大学時代にはバスで30分以上かけて通学していたので、「便利になってよかったねえ」と呑気に思っていたのだけれど。

朝刊には、キャンパス跡地となった場所で商売をする人たちの、切実な現状が載っていた。学生向けのアパートはほとんどが空室。飲食店には、アルバイトをする学生も、利用客となる学生も、もうめっきり来なくなったという。

新しいものができれば、みんな浮かれ、飛びつく。わたしだって新しいお店ができたと聞けば「行ってみたい!」とミーハー心を存分に発揮する。けれど何かが生まれるとき、だいたい、他の何かが終わりを告げている。それが悪いわけでも、そして止められるわけでもないけれど。それを「寂しい」と思うほどには、年を取ってしまったのかもしれないなあ。

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