やっぱり最後は好きか、嫌いか。

「だいたい何でもフィーリングで決めちゃう。なんか嫌だな、と思ったことはなんか嫌だから」

…という話をすると、時折「あ、こいつダメだ。バカなやつた」みたいな目で見られることがある。(その代わり、わかるわかる、と言ってくれる人も結構いる)

たぶんわたしの言い方が良くないのだろう、という自覚はある。同じことを言うのでも、もっと賢そうに見せるトーク術はきっとあるはずだ。でもわたしは、そのまま言ってしまう。この「見せ方」がへたくそなのが、たぶんよろしくないんだということもなんとなくはわかっている。

わたしにビジネスセンスがないって話はこの際、置いておこう。それは置いておくとしても、冒頭のフィーリング云々の話、これはわりと真実だと確信を持っている。有名な起業家とかビジネスパーソンも、みんな似たようなことを言っているから。

逆を言えば、フィーリングを無視して良かったことなんて一度もない。無視して突っ切ろうとしたことは幾度もあるが、いつも最後には「あー、やっぱやめときゃ良かった」が残る。

フィーリングが大事、好きか嫌いか、快いか不快かで物事を決めちゃうの。それは場当たり的なようでいて、実はものすごく動物的な、ある意味で本能というか。この本能というか感性というか、これを研ぎ澄ませておかないと、ダメなんだよね。

わたしはぼんやりしているので、研ごうと思って研いだわけではないけれど、知らん間に多少研がれた感じはある。

今、なんだか社会情勢が普通じゃなくて、フィーリングをどこまで重視するのかが難しくなっている。大人だから、多少フィーリングを無視して動くことができないわけじゃない。それがまた、かえって厄介だったりもしてね…。

でもやっぱり、わたしにとって大事なのはフィーリングであって、物事の最終判断は好きか、嫌いかなんだと思う。これを無視したら、いつかどこかでぺちゃんと潰れちゃう。

https://twitter.com/nao_2205/status/1250063028550275074?s=19

やらないことを決めるって話にも通じるけども、あれだね。柔軟ではあるべきだと思うけれど、守るべき一本軸みたいなのはちゃんと守らないと。きっとまた迷うけど、それやっておけば少なくとも、突然潰れることはないはずだから。

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