フィーリング至上主義(34/100日)
「なんとなく、好きだから」
「なんとなく、嫌な感じがするから」
もう、今までの選択のほとんどは、これなんじゃないか。そう思うくらいわたしは、フィーリング至上主義で生きてきた。
もちろん、決める前にはあーだこーだ考える。けれど考えた結果、正解がわかる問題なんて、ほとんどない。なら、どうするか。わたしは迷ったときは、「自分がそっちの道を良さそうと思うかどうか」で決める。で、その決断は、だいたいハズレがない。と、思っている。
そう聞くと、物事をちゃんと考えている人には「バカじゃないか」と思われるだろうか。思われるだろうなあ。実際、自分だってどうかと思うことはある。でもまあ、良く言えば、動物的な直感みたいなやつですよ。
例えばはじめましての相手とのやり取りで違和感を覚えたら、そういう方とは仕事をしないようにしている。違和感というのが、要はフィーリングに当たる部分なので、いまいち言語化はできないのだけれど。
というわけでわたしは、何につけても「なんとなく」をわりと大事にしている。つい先日も、取材先で誘われた某集まりにホイホイと参加してきた。以前までのわたしなら、絶対に行こうとは思わなかっただろう。でも「行ってみようかな」とよぎったので、行ってみた。そういうタイミングなんだろうし。と、これまた何の根拠もないのだが。
フィーリングに従って、失敗した! と思ったことはほとんどない。もしかしたら失敗しても、あまり気にならないのかもしれない。だってそれは、自分の心が良しと思って選んだ道だから。後悔したくないという意味でも、やっぱりわたしはフィーリング至上主義で生きていく。
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