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合わせなければならない、ということ

今月から、家族の生活リズムが変わった。するとどうしたってそれに合わせて、わたしのリズムも変わってしまう。わたし自身は、何も変わっていないのだけれど。

たとえば朝早く出ていくなら、わたしも早く起きてご飯を作ったり。早く帰ってくればくるなりに、一人のときとは違ったタスクが発生する。

これは家庭によってケースバイケースだろうけれど、と前置きをしたうえで、「日々変わってゆく家族のリズムに合わせなければならない」のは、圧倒的に妻であり母である、女性に多いだろう。女性が働いているとかいないとか、それはほとんど影響しないと思う。

夫が早く出るならそれに合わせて起きるし、子どもが早く帰ってくるならそれに合わせて仕事を早めに切り上げるなりなんなり、自分の予定を調整しなければいけない。それがイヤだというわけではないけれど、なんだかなあと思うことはままある。だって男の人は、もう少し自由なのにさ。

自由というのは、何も「男の人は自由勝手きままだよね!」と言いたいわけでは、たぶんない。夫も家族の動きに合わせてくれている方だとは思う。ただ、夫の「できる限り合わせる」のと、わたしの「何が何でもそうしないと」の間には、絶対的に越えられない壁があるなあとは思う。

子どもを生んでからというもの、わたしはこんなにも心が狭く、簡単に気持ちが乱れてしまう人間だったのかと知って驚き、たいそうがっかりした。というくらい、わたしの気持ちは常に乱れっぱなしだった。

もともとわたしは、気持ちの揺れ動きは少ないほうだと思う。急に怒ったり泣いたり、かと思えば大笑いしたり、そういうのはあんまりない。(たぶん)けれど、子どもが生まれてからは、その前提が見事にひっくり返ってしまった。

なぜなんだろう?考えた。そして思い至ったのが、「マイペースを崩されることが異常にイヤ」なんだということ。

子どもに「配慮して」「空気読んで」は通じない。特に小さいうちは。彼・彼女らはこちらの予定も都合もお構いなしに、あれやってこれやってと騒ぎだすし、時にはギョッとするようなことをしでかしたりもする。そのたびに、わたしのペースはいともあっさり崩される。これがなかなかに苦痛で、結果的に心が乱れっぱなしだったのだろう。と。

子どもが赤ん坊だった頃と比べれば、そのあたりはかなり楽になった。それでも、「合わせなければならない」現状は変わらない。学校や保育園など、子ども達が社会的活動をするようになればなるほど、その負担は大きくなるようにも感じる。

それがイヤなんじゃない。この役割をまるっと代わってちょうだいよ!と訴えたいわけでもない。ただ、ときどき、「しんどいなあ」と思ったりはする。自分のペースではなく、家族といえど他人のペースを軸にして常に動かなければならないのは、なかなか大変なことなのだ。

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