決めること、生きること

イギリスのYMS(ワーホリ)を終えて、3週間意地になってクロアチア、シチリア島含むイタリア、スペインを一人で旅して洋食と教会に飽き飽きしてた私。帰国後は友達に会いに台湾、関西、東京を旅し寺社仏閣とアジア飯で気持ちを一気に上書きした。現在実家ニートでそろそろ次の章へ行かないとと考えつつ、30も過ぎてやりたいことが分からないと進路を決められない高校三年生のような気持ちでいる。多分リアル高校三年生の方がしっかりしてる。

去年イギリス滞在時に一歳上の友人が癌で亡くなった。骨から癌細胞が溢れ出る珍しい病気で小児癌の一種らしい。「30にもなって小児癌の一種とかどれだけ体幼いんだろうね!」と当時彼女は周りを暗い気持ちにさせないように笑っていた。彼女は、ヨーロッパワーホリをベースに本来三年程ヨーロッパを旅したいと出国した。半年経って一時帰国した時に癌が発覚した。旅をしたいという思いが強かった分、よっぽど悔しかっただろう。その後抗がん剤治療が始まり1年後、悪性腫瘍は無くなったと連絡があったがその1ヶ月ほど後に再発した。それは彼女にとっての実質の余命宣告だった。その後一度日本に帰国し彼女に会いに行った。彼女の運転で温泉に行き、ビールを飲み(私より飲んでた)、時間を惜しむように二人とももう何を話してるのか分からなくなる寝る直前まで話し続けた。「またね」と未来を分かってるような分かりたくないような言葉を交わして別れた。彼女が亡くなったのはその四ヶ月後くらい。お葬式には行けなかった。

私が意地になって旅をした時何故かいつも念頭には彼女がいた。見たことない世界を見ること、会いたい人には会いに行くこと。それが正解かどうかは分からないけど私なりの彼女への弔いのような気がした。

年も故郷も生き方も考え方も近かった。とても自己中な考え方だけど彼女がやりたかったかもしれないことを想像してやり尽くした。でも、それは私じゃないのかもと、ふと感じた。きっとどこかで彼女に対しての罪悪感とか報われない思いがあっての行動だったのかもと。それをナチュラルに自分がやりたいことのようにすり替えて行動していたところも強かった気がする。帰国してすぐにお墓にお参りに行って彼女の学生時代の友人と思い出話をしながら飲んだ。ここでやっと私の中での彼女のお通夜とお葬式が終わったような気がした。

だから、寂しいけど私が作り出した彼女の「やりたかったこと」とはもうお別れの時期なのかなと思う。勝手に作り出して勝手に寂しくなって自分ながらにアホと思うけど。むしろ、勝手に作り出してごめんと思う。多分怒りで枕元に立たれるかも。でも、言葉にしてこの想いを消化させたかった。

だから、これからは1人で決める時。これが辛い。お別れしたような気持ちになるんだ。何度も人と色んな形でお別れしてるけど本当に苦手なんだ。苦しい。そこへの期待とか未来が完全になくなってしまうから。6年同棲した元彼氏と別れた時も、父が急に亡くなった時もいつも実家へ帰って思い悩んで次の道を決めてた。実家はいつも思い悩む場所だから苦手。

でも、仕方ない自分と向かい合ってゆっくり決める。完全に周りの人の意思がはいらない決断ってすごく難しい。世間体とか、彼氏(絶賛いない)、友達、家族。そういう周りの人の意思に沿っても幸せになれるような体質じゃないのは分かってるんだ。

私だけの意思を尊重して決めることそれがきっと私にとっての生きること。

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