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それは本当に「不幸」?


私たちの人生や世の中には出来ることがたくさん増えた一方で
時代の変化・社会の変化で
以前のように出来なくなってしまった(制限されるようになった)ことが
たくさんあるかと思います。


コロナの件で言えば、
例えば、旅行。
例えば、外食。
例えば、誰かに会いに行くこと。
例えば、大勢の集まるイベント。


その中でよく聞かれるのが
〇〇が無くなってしまって悲しい。

〇〇が無くなってしまって子どもたちが可哀想だ。

といったようなコメント・内容です。


ただ、、、

果たしてそれは本当に可哀想なことなんじょうか?

悲しいことなんでしょうか?


これはコロナがどうのこうのではなく、
昔から世界の中で繰り返される思考のパターンです。


私たちはすぐに心の中に
悲しいことや、不幸なことを作り出そうとします。

それがどんなに些細なことであっても、
幸せになりたいと言いながら
ココロは不幸や不満を探すのに必死です。

今まで普通にあったものが無くなることは
それは不便でも不幸でも可哀想なことでもなんでもなく、
ただそう変化しただけのことです。


それは出来れば、
あなたの知らないところで、あなたの生きていないところで
起きて欲しかったかもしれないけれど
そもそも変化しないことなど
この世には何一つありません。

「変化」は決して悲しいことではありません。


それは捉え方によっては
普段使うことのできなかった(普段の限界を超えた)
自分の想像力や、思考力、挑戦力を使う、
自分と自分の人生の可能性が広がる大チャンスだ!と私は思います。


想像力も使わず、思考をやめ、
チャレンジもせず、
周りのアドバイスに耳も傾けず、
ただ変化した現実を嘆き続けることは
とってもとっても勿体ないことです!


もっともっと楽しいことが生まれるかもしれないし、
もっともっと出来ることが増えるかもしれないし、
それはもう挙げればキリが無いくらいの恩恵があります。

あなたが幸せになりたいと望むから・
もっと良く生きたいと願うから、
「変化」を寄越してきたのかもしれません。

それを拒否するのだとしたら、
あなたはどうしたいんでしょう?


変化は決して悲しいことではありません。

そうあるものです。



私たちは周りとの様々な繋がりの中で生きているのだから、
私たちもそれに合わせて変化します。


夏になったら涼しい服を着て、
冬になったら暖かい服を着て、
野菜を切るときは包丁を使い、
紙を切るときはハサミを使います。

こうして私たちは
周りの環境や、条件によって
道具を変化させます。

それは悲しいことではありません。



もし、この世から暖かい服が無くなっても
それは悲しいことではありません。

それは
もっと暖かい服に出会えるかもしれない機会なんです。

暖かい服が無いからといってただ嘆き悲しむだけだったら
私たちは凍え死んでしまいます。

そんなことよりも、暖かい服を作り出そうとするでしょう。

それにはきっと努力や協力、時には忍耐も必要ですね。
でも、それは悲しいことではありません。


私たちは恐らく、
本当はあってもなくても困らないものに
不満や不幸を見つけるんだろうと思います。

だってあってもなくても困らないんだから。

ただ悲しみ続けることが出来てしまうんです。


もし、
それが生きるか死ぬかのような問題であれば
最初多少の文句は出たとしても
絶対になんとかしようとすると思います。

だってなんとかしないと死んでしまうんだから。


なんでも便利になったこの世界は
私たちの思考力や想像力を時には奪ってしまいます。


本当はあっても無くても困らないものが
世界のほとんどを占めていて、
そのあっても無くても困らないことに支えられている生活が
私たちの生き方の首を締めてしまうこともあります。



変化に対して、
もっともっと柔軟であること。

変化の時代に生きる人に求められることはなんでしょうか?

大変化の時代に生きる私たちに求められていることは・・・?



変化に柔軟に対応出来るココロとカラダを養うこと、
それは悲しいことでは決してありません☺


HP : NAO ∞ invention
Instagram : nao8invention
youtube : しあわせなカラダを作ろうチャンネル(仮)



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