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色づく葉っぱに変わりたかった自分の理想を重ねた日々

秋の空って、なんでこんなに高くて濃ゆいのだろう。
色づいた葉っぱの赤とか
空の色とのコントラストが大きいからなのかな。

ふと街を見渡せば、
葉っぱの色づきの美しいこと。

落ち葉を掃くひとのお姿も
よくお見かけするようになりました。

そういえば去年の今頃
きれいな葉っぱを押し花(押し葉?)にしたのでした。

この季節になるとカナダのメイプルリーフを思い出します。

わたしがいたケベック州は
9月ともなるともう随分寒くて
ハロウィンの日には初雪が降っていて
パーティの帰り道には
凍えながら信号待ちをしていたものです。

わたしがカナダに降り立ったのは6月の下旬。
ようやく現地での生活にも慣れ始めたと思ったら
サマータイムも終わり
一気に紅葉が進み
あんなにたむろしていた人々は
どこへ行ってしまったのか?というほど
公園なども閑散としてきます。

メイプルの葉が色づいてくるのは
日本の紅葉の時期よりはもっと早い。
なんとなくですが
長野の蓼科とかの秋の気配と

似ている気がします。

とっくに寒々とした気温になっているのだけど
当時は手持ちの服も少なくて
かろうじて上着として持っていたGジャンと
古着屋さんで買った重ね着で
なんとか一日一日を凌いでいたものです。

心細いような
でも、初めてだらけのことに出会える日々が
刺激的で嬉しくて。

しんみり、と
ワクワク、と。

相反する気持ちが
せめぎ合っていたあの頃。

当時抱いていたそんな想いが
メープルリーフの赤やイチョウの黄色い葉っぱに
染み込んでいるみたいで

それは国境を超えて、
同じような紅葉の季節を迎えると
思い出してくる情景なのです。

#

もっと歳を重ねて
いろんな能力を身につけて
いろんな経験を積み上げたら
わたしはそこそこな大人になれるのだ
と思っていたけれど。

補えきれない深くて大きな穴って
何歳になっても存在するのですね。

わたしは確実に歳を重ねてはいるのだけれど
紅葉した葉っぱを眺めながら
公園のベンチに腰掛けてるわたしの姿は
そのままの姿で心の中に住んでいます。

変わらなきゃ、変わりたいって
いつもそんなことばかり考えていたよちよちのヒヨコちゃん。

足りないものを数えるのが上手だった彼女も今では結婚し、子供もいて
足りないからこそ
できる事がまだまだたくさんあるじゃんーと開き直れる太々しい中年女性になってます。

年の功とはいったもので
荒波に揉まれる楽しさや喜びに
うんうん、いいねと思えるようになりました。

もちろん、素直にいいねと
笑っていられないこともあるけれど
笑えないことにいいとか悪いとか
その場でジャッジするクセが
当時よりもうんと減りました。

色づく時季は
過去のわたしと今のわたしを
くっきりと思いださせてくれるみたいです。



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