見出し画像

母の話




昨年書いた母についての記事です↑
(私の母は どんな人なのか)



母とは結婚する23歳まで一緒に暮らしていました


幼い頃 喉が弱かった私は 扁桃炎に頻繁になり
必ず高熱を出していました

母はペーパードライバーで車の運転は出来ないので
自転車の後ろに私を乗せダッシュで病院へ
よく連れて行ってくれました
暑い真夏でも寒く雪が降る中でも
必死に自転車をこぎ 私を病院へ

帰りには必ずスーパーへ寄り
私の好きな物を一つ 買ってくれました

その事だけは
鮮明に覚えています
唯一と言っても過言ではない母との良い思い出ですかね
母と言えば私の記憶の中では常に自転車に乗っているイメージなので 見出し画像は自転車を。



現在 母は70歳
よく離婚しなかったな と思える父(70)と
私の3つ下の妹と妹家族(妹の旦那と子供3人)と
実家に住んでいます



実家から我が家までは車で15分くらいですかね
近いです
しかし ほとんど行きません


過去記事にも書きましたが
母は ずっと忙しい人でした
私が結婚してからも頼りには出来ず
私は母には一切頼ることなく ほとんど会うこともなく結婚生活を送ってきましたから
会う習慣が無いんです


親に会うのに 習慣とか
おかしいと思う人もいるのかな?


幼い時
自転車で必死に病院へ連れて行ってくれた私の記憶からして
母は私を一生懸命育ててくれたんだとは思っています
しかし 私が必要とする大変な時に頼れなかったことをいまだに私は根に持ってしまっているのかもしれません
これに関しては昔 母から謝られたこともあります



今のところ父も母も病気もせず元気に暮らしています
妹家族が一緒に住んでくれていて
妹とは頻繁に連絡は取っているので
何かあれば妹から連絡来るはずで
妹家族がいるから 私も母へ会いに行かずとも安心して暮らせているかもしれません
妹には感謝しています



母に会う必要又は理由がなくとも
お正月だけは毎年実家に帰ります
これは 姪っ子や甥っ子に会いたいしお年玉をあげる為




今年も4日に実家に行きました

昨年までは実家に行くと必ず帰りに

お雑煮入った鍋
おしるこ入った鍋
箱のみかん
など大量に手作りの物を持たせてくれた母


私も毎年 年始🎁に父と母が好きな甘いものの菓子折りを持参しています



しかし今年は
「ごめんね。今年は作れなくて😥」と母

私は驚きましたが「全然大丈夫だよ!」と返事しました
驚いたのは 料理が欲しいからではなく 私に毎年料理を持たせたい母が作らなかったこと



妹いわく
昔みたいにこまめに色々やらなくなってきたよ


止まってる時間ない ってくらい動いているイメージの母でしたが
母も70歳
老いているのですよね


私が転職したことも妹から聞いていて

「お店に行ってみたいなとは思ってるんだけど なかなかそっちまではね😥」と母

「無理しないでいいよ。仕事は頑張ってるから」
と私

私の記憶の中の母なら
自転車で全然来れる距離なんですけどね
その何倍もの距離を自転車で何処でも行ってましたから


妹から
「もう夜は8時過ぎには寝ちゃうんだよ」
とも聞き

母も年老いたのだな
としみじみ実感しました


私が50歳ですもんね
母だって年老いるに決まってます


私と同じく
声が大きくて元気印!
バリバリに働いてきた母
それだけが取り柄の母でしたが

今年 初めて 母の老い を感じました
父にも同じくですが


今までよりは気にかけなくては
ならないかな
と思いました


頻繁に会ってないからなのかな
母は
母だけは 常に元気に動き回っているって
勝手に思ってましたね

そして 自分にも こういう時が来るんだよな
と切実に思いました

そんな ちょっと切ない2023年の幕開けでした




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?