【実話】#9 学校へ行かないを選んだ娘との奮闘記=成績表についていた見たことのない表記

久しぶりの投稿になります。
たくさんの方にお読み頂き、ありがとうございます。



さて、今日はお話を娘のことで進めていきますね。

3ヶ月間、学校を休み続けた後

市の教育機関である
学校に行かない子をサポートする教育センターに通うようになりました。

自由に学習にも取り組める環境を提供してくださり

娘も静かな校舎での生活に徐々に馴染んでいきました。

コミュニケーションツールとして置かれている卓球台。

毎回楽しみに卓球に励み、とうとうスポーツショップで
自分専用の卓球ラケット(福原 愛ちゃんモデル)を購入するまでになり

これで中学の部活は卓球に入る?みたいな
未来に向けての会話も出てくるほどになりました。


自分の意志で決める強さ


既存の学校に行くのはカンタンでなかったけど
教育センターに行ける

それだけでも娘の自信に繋がっていきました。


そしてこの頃からはっきりと
娘自身が

『自分の意志で物事を決める』

と言ったことができるようになっていきました。


小学校4年生の冬の話です。

・寝る時間
・起きる時間
・教育センターに行く時間
・テレビを見る時間
・お風呂に入る時間

毎日のルーティンの中の一つひとつの時間の区切りをつけていけるようになりました。

これは私が手帳ナビゲーターになって、手帳を使い始めるようになって
影響を受けたのかもしれません。
(実際、娘にも手帳を持たせています!)

https://showtime-awesome.com/time-beginner-online/


”時計を見て動く”

と言う習慣が身に付いていきました。


4年生の12月から教育センターに行き始めて

年が明けても行けて
1月、2月、3月と

行ける日が増えたり
センターにいる時間も長くなっていきました。


『もしかしたら
4月から学校に行けるかもしれない』

そんな兆しを私も娘も心に抱けるようになっていきました。


時折、学校の担任の先生に誰もいなくなった放課後に会いに行けるようにもなりました。

ベイビーステップをちょっとずつ積み重ねていきました。


成績表につけられた斜線

そして学年末。
学校のみんなが終業式を終えた後

担任に呼ばれていたので学校に娘と出向きました。


たしか・・・
保健室に通されて

そこで娘の成績表を手渡されました。


成績表を開く前に
担任の先生は、穏やかな口調ではあったけど
少し強張った表情で静かに説明をしてくれました。


「学校には来てなくても
教育センターに行けるようになって
◯◯さんの成長を感じています。

よく頑張ってきたね。

ここには学校生活の様子を記されると言うことは
知っていると思うんだけど

今回、◯◯さんの成績表には
いつもと違う書き方になっています。

校長先生も◯◯さんの様子は知ってくれていて
その頑張りを認めてくださっています。

5年生に進級できることになりました。

おめでとうございます。」

と言ってその紙を手渡してくれました。

”いつもと違う書き方・・・”

”進級はできる”

この言葉が私はとても印象的でした。


正直、成績がつくのか安心でなかったし
義務教育とは言え
進級できるのか・・・


無知な親子(娘と私)は
心中穏やかでなかったことも事実です。

手渡された成績表をそっと
二人で開いてみました。


「・・・・・・・・」


言葉を失いました・・・。

国語

算数

理科

社会

その他の教科


全ての評定の欄に記されていたのは


斜線でした。


  /

  /


 
  /


そうです。


評定はついていなかったのです。


今時の小学校の通知表って 

数字でなくて

・よくできている

・できている

・努力が必要である(そんなニュアンスの言葉ですね?たしか・・・)


に◯が記されているのですが

娘のその欄には


全て
斜線が引かれていました。

要は、授業に参加できていないので
評定する基準に達してないということでしょうか・・・?


私は、初めて見るその記録に
衝撃を受けました。


娘の表情をおそるおそる覗いてみると 

今まで見たことのないような


悲しげな表情で

既に

涙がいっぱい溢れていました。

私は胸が締めつけられました。


娘にかける言葉が見つからず


気づけば 

娘の背中をさすっていました。


その後、どうやって担任の先生と話をして

どうやって帰ってきたか

記憶にありません。

今も思い出そうとしても


記憶がありません・・・。


叩きつけられた現実。

これが高校生ならば 

とっくに退学になっていたことでしょう。


実際に娘は、学校を辞めたいとずっと言っていました。

辞めたくても辞められない現実。


行きたくても行けない学校。

この狭間で

ものすごい数の葛藤をしてきました。

その結果が

斜線の成績表だったのです。


帰宅しても 

その後も

そのことには触れられませんでした。


進級できると聞いたけど
この斜線の成績を見て 

娘がどんな気持ちになったのか

私は想像することができませんでした。


いつも一緒にいるけれど 

一緒に学校にも 

教育センターにも通っているけれど


娘にとって、たった一人の母ではあるけれど

娘がこの時に受けた衝撃はいかばかりか

それを想像することは容易ではありませんでした。


ここから 

どうやって軌道修正していけるのか


私には皆目

検討もつきませんでした。

春休みに入って

お友達もみんなお休みになってホッとする時期に


娘はまた 

元気をなくしていきました。


昨日まで元気に教育センターに通って 

これからの未来に希望を抱いていた姿とは

かけ離れた

元気のない娘になっていったのです。



今日のお話はここまでとさせて頂きますね。

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