社会について考える。

みなさんこんばんは。Nowです。私は、来年から中学校の社会科の教員として教壇に立つ者です。今日は「社会ってなんだろう?」ということをテーマに進めていきたいと思います。

①きっかけ

私が「社会」について深く考え始めたのは高校3年生の時です。「社会ってなに?」大学受験の時、私に2次試験のご指導をしてくださった先生からのこの問いに当時の私は答えることができませんでした。それまでは、地理とか歴史とか、現代の社会について学ぶものとしか考えていなかったのですが、その問い対しての、より良い解を導くことができるよう、「社会科」の本質について考え始めて4年が経とうとしています。残念なことに今だにこれだ!と言った答えは見つかっていません。なので、今回は現時点の私の考えをまとまていきます。

②社会とは

これをきっかけに、

人間関係について学ぶなら道徳と何が違うのか?なぜ、「社会」という教科では、実生活に直接関係のない地理や歴史を学ぶのか?よく、社会に出ると言われる時に使われる「社会」という言葉は具体的には何を示すのか?そもそもなぜ人類は社会を形成したのだろうか?「社会」で生きるとはどういうことか?

などと言ったことを自問したり、時には本を読んでみたりして今、一つ自分の中の「優良解」を見つけました。それは…

社会とは、人々が助け合って生きていく場であるということです。

え?当たり前じゃんと思う方もいると思いますが、これが私の中でしっくりきました。

社会の基本的な構造は「ギブ&テイク」です。これは人類が誕生してから変わっていません。しかし、ただ助け合っていけるほど人間は簡単な生き物ではありません。その理由は人には感情知性、さらには、があるからです。

感情があるから他者との関係において好き嫌いがあって誰とでも協力することが難しくなります。

知性があるから様々な物をつくって経済や社会構造を発展させてくることができました。

欲があるからこそ、自分がこうしたいということに従って行動することができます。

これらがある人を「人間らしい」と表現することがありますが、確かに、私達がこれらによって「人間らしく」生きることができています。

しかし、一方でこれらがあるから基本的な構造の「ギブ&テイク」を成り立たせることが難しいということも事実です。それは人間なので当然です。

③まとめ

確かに、感情のぶつかりあい、意見や価値観のぶつかりあい、自分がこうしたいという思いと周りの人とのぶつかりあい等ということは多々あります。

しかし、それらに折り合いをつける術を学び、ときには、ぶつかりあいそのもの避ける術を学びながら、最終的は社会に属する人がより良く生きることができるように自分が社会に貢献する番になる。このように社会は繋がってきました。

つまり、それぞれ違った感情や価値観、意見、欲求をもつ人々が、お互いに認め合い、協力して、より良く生きる場が社会であると言えると私は考えます。


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