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納得したうえでも喪失感はある。42歳で子宮を全摘出した話②

手術~退院。

こちらの話の続きになります。↓

手術は午後からで、朝からシャワーを浴びて、最後の水分を摂り、一晩ICUに入るので荷物をまとめた。点滴を挿れてもらって、手術着に着替え、あとはずっとスマホぽちぽち。

手術中は万が一に備え家族の待機が必要で。手術予定時刻の30分前に、義母が来てくれた。夫は?と聞くと、一緒に来たんだけどね、足が痛いって、と。そうしているうちに手術室へ行く呼び出しがあり、荷物を持って廊下をに出ると、夫がゆっくりと足を引きずりながら歩いていた。

夫に、もう時間だから手術室に行くね、と声をかけた。

看護師に、点滴に鎮静剤が入っているから車椅子で手術室へ行きましょうか?と言われたけれど、いや大丈夫、むしろ夫のほうが車椅子いるかもなんて冗談?を言いながら、結局看護師と2人で手術室へ入った。

手術室で執刀医から旦那さん足痛そうだったね、と声をかけられ、そうですね、あんまり待たせるのもしんどいと思うので手術は巻きでお願いしますと言った。なのに、硬膜外麻酔の腰椎穿刺を失敗されまくった。おのれ麻酔医め、あと1回失敗したら今日はキャンセルと叫んでやる! と思っていたら7回目で成功した。あとはまな板の鯉。

後日写真で見せてもらった摘出した子宮は、まんまザクロだった。15㎝まであと数㎜足らず、1㎏まであと数g足らなかった。惜しい。

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わたしの場合、筋腫の大きさもあり開腹手術だった。

手術は3時間ほどで無事終わり、麻酔が覚めて朦朧としたなかでICUに移動するときに義母と夫の姿を見た気がする。せっかく麻酔医が苦労して挿入した硬膜外麻酔のチューブは夜には抜去された。そこからやってくる痛み。ただ、ICUではお腹の痛みよりも膀胱に留置されたカテーテルの違和感に悩まされた。チリチリヒリヒリ尿道にしみる。頼み込んで抜いてもらった。まだ痛いから動けないよと勧められたオムツも拒否し、ベッドサイドにポータブルトイレを置いてもらった。めんどくさい患者である。

朝が来て、ICUから病棟へ戻った。病棟の一番奥の6人部屋の一番奥が私のベッド。まずは義母と夫にLINEを入れ、夫には体調が悪いなら面会は不要と伝えた。

手術後はもちろん創部の痛みはある。3月で花粉症真っ盛り、くしゃみ一つで悶絶した。それに加えて最も悩まされたのは、何かを食べると腸が揉み洗いされるかのような痛みだった。その病院の食事は美味しかったが、3口食べればもう痛みで喉を通らなかった。勝手な推察だが、ほぼ1キロの肉塊を摘出したのだから、位置が落ち着くまで腸がうねっていたのではないだろうか。

術後の微熱は続いていたが、予定通り10日ほどで退院した。迎えに来てくれたのは義母で、結局夫は手術当日以外、病院に来ることはなかった。


忘れられない一言

退院して帰宅したとき、夫は自宅内の事務所にいた。ただいま、と声をかけると、おかえり、のあと、彼はこう言った。

「俺のiPhone調子悪いんやけど、見てくれやん?」


術後のドタバタ

退院後暫くゆっくりしてなさいと義父母は言ってくれたが、そこは同居歴20年の嫁、すっかり自己犠牲が浸み込んでおり、そうも寝てはいられなかった。結果、動きすぎて悪露(不正出血)が出て発熱しダウンしたのでお勧めしない。産後も手術後も安静って大事。本当に。

結局のところ、退院して1週間後に夫が倒れ、様々なことが発覚し、別居、離婚へと進んでいったので、あまり自分の安静など保つことは無理だった。創部はもともとあった帝王切開の痕にあわせて切られたため今までと変わらない(数㎝は大きくなったが)見慣れた傷となった。腸をもみ洗いされるかのような痛みは1か月ほどで軽快し、体重は5㎏減ってお腹のポッコリも少しスリムになった。こうして、当初の予定通り1か月で仕事復帰した。



また長くなってしまった。あと少し続きます。


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