納得したうえでも喪失感はある。42歳で子宮を全摘出した話①
子宮筋腫のこと。
事故や病気で治療のために体の一部を失うことは、現代医療ではよくあることかもしれない。私が失ったのは子宮。子宮筋腫だった。
子宮筋腫は別に珍しい病気ではない。30代以上の女性の約30%にみられるというし、良性だから見つかったからといって急いで切除しなければいけないものは少ない。ただ、筋腫が大きくなると貧血や不妊症の原因になりうる。
子宮筋腫は女性ホルモンの影響を受けて大きくなることが知られており、女性ホルモンの分泌が盛んになる20歳代頃から発症しやすくなります。そして、閉経を迎えて女性ホルモンの分泌量が激減すると徐々に小さくなっていくことが分かっています。引用:メディカルノート
20歳代から閉経までって、女性にとっていちばん忙しい時期だと思う。卒業、就職、結婚、妊娠、子育て、親の介護が見えてくる頃までくらい。家族のことが優先されて自分のことを後回しにしている女性、多いのではないだろうか。わたしもそうだった。
発覚~入院まで。わたしの場合。
※これから書くのはわたしの体験談です。その人の年齢や所見、治療法によって必ずしもこれが最適ではないので、あくまでも参考程度で。
最初に見つかったのは貧血だった。会社の健康診断でヘモグロビン値が6.8g/dlだったから。通常、成人女性の基準値は11~16g/dlという。産業医から呼び出されて紹介状をもらい、特に症状ないけどなーと思いながらもこどもを出産したときに診てもらっていた小さな医院へ行った。実に十数年ぶり。診察室に入ってまず腹部触診をして医師が一言、「ん?大きいな」
エコー画面に映った筋腫は13㎝を超えていた。
医院ではもう手術は対応していないということで、市民病院へ。当時42歳のわたしは①まだ閉経まで数年かかること②既ににこどもを授かっておりこれ以上の妊娠を望んでいないこと③慢性貧血状態であることから、子宮全摘出が望ましいという診断だった。1月半ばで、小雪が舞っていた。その頃はもう夫婦仲がギクシャクしており、わたしはこの「厄介な出来事」を早く終わらせたかった。4月になれば仕事も忙しくなるし、夫の自営業の確定申告もあるからと3月初頭の手術を希望した。慌しいなと苦笑しながらも、医師はスケジュールを組んでくれた。
手術までできるだけ貧血を改善するようにと、通院で2日に1回鉄剤の注射を打ったが、手術直前の血液検査ではヘモグロビン5.6だった。輸血用の自己血献血はもちろん無し。
2週間程度の入院になるからあれこれと準備をし、こども達にも話し、猫たちを抱きしめ、義父母に頭を下げた。夫には、1か月程度は仕事を休むこと、その間の収入減についてくれぐれもよく考えてほしいと伝えた。
入院当日は病院まで義母が送ってくれた。夫は家にいたが、「足が痛い」と言っていた。
あとから思えば症状はあったのかも。
健康診断で貧血を指摘されても症状はないと思っていたが、あとから思えば症状はあったのかもしれない。生理痛はもともと重いほうだったが、子育てと同居嫁業で寝てる暇などなかった。40歳を過ぎたころから鎮痛剤を(多めに)飲めば何とか動けたので大したことはないと思っていた。頻繁にトイレに行けないので仕事の時は夜用ナプキンにタンポンを併用し、それでも3時間もすれば吸収力の限界に達していたし、夜寝て朝起きればパジャマもシーツも血まみれで殺人事件のようだった。トイレに行けばボトボトとレバーのような血の塊で便器の中は血の池地獄と化していた。それでも毎月のことなので、あーまたかとやり過ごしていた。
階段の上り下りで息が切れるのも、ズボンのファスナーが閉まらなくなってきたのも、太ったからだと思い込んでいた。
とっくにセックスレスで夫に触れられることもなかったから、下腹部に大きなしこりがあることも気づかなかった。
長くなりそうなので、一旦ここまで。もう少し続きます。
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