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美術史:デューラー『メランコリアⅠ』

 今回は、ドイツの天才画家アルブレヒト・デューラーを解説します。
 彼はかのダ・ヴィンチと肩を並べる才能の持ち主で、イタリアのレオナルド・ダ・ヴィンチ、ドイツのデューラーと言われています。
 彼は1471年、ニュルンベルグの地に誕生しました。彼の父親は、当時から著名な金細工職人で、少年アルブレヒトも幼い頃から父の薫陶を受け、メキメキと腕を磨きました。早熟の天才ぶりが分かるのが13歳と時に描いた自画像です。とても子供の作品とは思えません。

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 この自画像を見ても分かりますが、彼の特徴は精密な描写力にあります。例えば、31歳の時に描いた野ウサギの絵があります。

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 真っ白な画面に1羽のウサギが描かれています。背景には何も描かれておらず、これが外で描いたものなのか、室内で描かれたものなのか一見すると分かりません。しかし、この絵は室内で描かれたものであることが分かるのです。
 何故かと言えば、ウサギの目に注目すると、窓枠が描かれているのです。

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 つまり、これは窓のある部屋の中で描かれたことを示しています。小さな眼球に背景を描写してしまうなど、とてつもない描写に対するこだわりを感じます。
 画家としての彼は、油彩画や版画などで数多くの作品を残しました。単に目の前のものを描くわけではなく、遠近法、解剖学、人体均衡論(人体の各パーツの比率を細かく計算する)など様々なことを学びました。科学的な知見を取り入れるあたり、ダ・ヴィンチと似たところがあります。
 数ある作品の中でも3大版画と呼ばれる作品があります。
 今回お話する『メランコリアⅠ』はその中のひとつで、デューラー作品の中でも謎が多いとされるものです。


デューラー『メランコリア1』

 この絵に描かれているものを挙げていくと、はしご掛けられた建設中と思われる建物、天秤、砂時計、鐘、その下には縦・横・対角線どれを取っても4つの数字を足すと同じ数字になる魔法陣。建物の手前には翼の生えた女性が憂鬱そうに頬杖をつき、コンパスを手に持って居ます。女性の足元には釘、定規、鋸、鉋などの大工道具の他、財布袋が転がっています。奥には犬、キューピットのような子供、多面体等々。探せば切りがないほど様々なアイテムが描かれています。どれも何かしらの意味を持っているように思われます。果たしてこの絵は一体何を表しているのでしょうか。また、この絵のタイトルの意味は何か。「メランコリアⅠ」というタイトルは、まるでシリーズもののようですが、この絵に続きとなる作品はありません。では、この「Ⅰ」という数字の意味は何なのでしょうか。
 メランコリーとは「憂鬱」という意味です。デューラーがこの絵を描いたのは43歳と画家として脂がのりにのっている時期ですが、そんな時期に「憂鬱」を描いたのは何らかの壁に直面し、迷いがあったからでしょうか?
 この絵の中で憂鬱を表しているのは、一番大きく描かれている頬杖のついた女性でしょう。しかし憂鬱というには女性の目は強く一点を見つめ、強い意志すら感じるほど、憂鬱な人のそれとは異なるものです。何故、この女性は憂鬱そうにしている反面、強い意志を持っていそうなのでしょうか?
 この絵を読み解くには、当時流行していた「四性論」を知る必要があります。元は古代ギリシアの医学思想で、人間の体には「血液」「胆汁」「粘液」「黒胆汁」の4種類の液体が流れており、どの液体が多いかによってその人の性質が決まるというものです。ルネサンス期には、この考えに季節、方角、ライフステージ、四元素、気候などと結びつき、壮大な宇宙観を作り出しました。例えば、血液が多い「多血質」は、積極的な性格であり、春、西、子供、空気と結びついている。気候は温暖で湿っている状態である。といった具合です。
 さてこの思想によると、憂鬱気質は、黒胆汁が多い人です。性格は内向的で消極的、季節は秋、方角は東、ライフステージが壮年期、四元素は大地、冷たく乾いた気候と結びついています。憂鬱気質は、内向的で消極的すなわち「怠け者」というマイナスイメージで捉えられていました。しかし、ルネサンス期になるとそのイメージは一変します。背景にはアリストテレスの「優れた人間は皆、憂鬱気質である」という言葉があるようですが、芸術的で知的、現代でいうクリエイティブな性質を持つものとしてプラスイメージが加わったのです。実際、ミケランジェロも「憂鬱質こそ我が友」と言い、彼のよきライバルであったラファエロは「アテネの学堂」の中で頬杖を突く姿でミケランジェロを描いています。
 ところで、憂鬱気質の創造的活動には3段階あると言われました(コルネリウス・アグリッパ)。「メランコリアⅠ」はその説を反映して、創造的活動の第1段階であることを示しているのでしょう。この絵が憂鬱気質の創造的活動を表している絵であることは、確かに描かれているものの中に大工道具など創造的活動に使われる道具が多数描かれているのにも納得できます。
 この作品は、創造的活動の萌芽、何か新しいものを生み出そうとする決意を描いているのではないでしょうか。

補足:この絵に描かれたデューラーのサインを探してみてください。

参考資料:『名画を見る眼』(高階秀爾著) 


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