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発達っ子とその母、信頼の置き場所、あっちへ行ったり、こっちへ来たり。

みなさま、お疲れ様です。少し、自分の時間が取れているところでしょうか…?

みなさんは安心できる、居場所はありますか?
今回は息子が小学校4年生の頃のお話を、日記から転載しますね。


息子には吃音があって、小学校に併設されたことばの教室に通い発話を学んでいる。

絶賛ADHDの息子は、授業中苦手だと感じる『今』の気持ちに気を取られ、自分が吃音で困っていることを忘れる。

ゆえ、ことばの先生の目を見ながら大あくびをし、頬杖をつき、つっぷし、足をブラブラさせる。ことばの教室は親同伴が必須。毎度教室の隅で私は絞れるほど脂汗をかいている。なにしろ民間のことばの教室を2軒クビになっている。理由は推して知るべし。もう後がない。

しかしだ。そんな彼も心許したことばの教室の先生がいる。ベテランのF先生だ。ただその信頼の表し方が独特すぎる。

ことばの教室は個人レッスンなので、息子と先生が机を向かい合わせにして着座している。発話時の口の動きを確認するためだ。

防音室なので生徒も先生も上履きを脱いで入室する。
息子は相変わらず机の下で足をブラブラさせていたが、次第に床にこすりつけて靴下を脱ぎ始めた。息子の背中に向かって靴下を履けと強く念じる自分。しかし足裏は依然新鮮な空気を満喫し続けている。

せめて、その足を止めたいと祈る気持ちが絶頂を迎えたその時、その両足は向かいに座る先生の足の甲に静かに着地する。
ストッキング経由ながら生足接触している。
見つめあう二人。
絶叫する自分(心の中で)。

息子は小さなころから他人との皮膚接触を快く思わない傾向がある。なので慣れ親しんでいるはずの祖父母の膝に乗るなどということは、とうとうないまま幼児期を終えた。私には皮膚接触を許すが、それ以外の他人でそれを許したのは後にも先にもF先生、たった1人である。無論それを意味するところをF先生が知る由もない。

その後、先生は何事もなかったように静かに自分の足を引き、授業は粛々と進められた。ベテランの貫禄ここにあり。
かくしてF先生には2年わたって息子を担当していただいたが、残念ながら定年でこの春お辞めになられた。息子ががっかりしたのは当然なことながら、親の私も同様であった。

ことばの教室は『連絡帳』に親が日常の子供の様子を記載し提出する。どだい息子の非礼を詫びることが多くなる。

しかしF先生は息子の良いところも悪いところも、全部丸ごと受け入れてくださった。

なので自然と息子にはこんな良いところがありますと、堂々と連絡帳に書く事を私に許した。それがどんなに私を励まし、親子関係を温かなものにさせたことか。雨の日も雪で車が動かない日も、電車で倍の時間をかけて通った。そこまでしてF先生に会いたいのは、ありのままを許されたからである。

今朝も息子はYoutubeを見ながら着替えていたので、さっき着たばかりの下着を脱いでしまう。私が「ちょっと(怒)」と声をかけると、今脱いだ下着を頬にあて「…人肌!?」と驚いていた。彼は自分が湿った足裏を先生の足の甲に着地させたことなどみじんも覚えてはいないであろう。でもこんな平穏な日常はこんな支援者のおかげであると、深く深く感謝する毎日なのであります。


当時、一歩外に出ると、舌打ちされたり、白い目で見られることもありました。心の中であかんべーをすればよかったのかもしれませんが、「すみません、すみません」と言葉にすることで、自分の存在を自身で否定している心持になっていきました。
ここは数少ない安心できる場所であり、思い出すだけで鼻がツーンとしてしまいます。

長文おつきあい、感謝です。

(ちなみに画像は家庭科で作った何かに「イカ」と刺繍したものです。)

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