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息子の自立を阻むもの②

さて今日は前回に引き続き、息子の自立を阻むものについてお話します。

もう先に結論を述べますが、「期待」です。
これは私の性格によるところが大きかったと思います。

私はとても不安になりやすいタイプです。

小さいころから夏休みの宿題は始めに片づけてしまうタイプでした。今だって災害対策に1週間分のNASA開発の食糧備蓄もあります。昨日、知らずできた手首の痣を見つけて、すわさっき聞いてしまった怪談のアレがナニしたのかと寝れなくなりました。もはやいろいろ病気です。

そんなことで、息子が生まれてすぐに七田やこぐま会といった幼児教育を受けさせていました。失敗しない最善の策だと思ったからです。するとASDのとがった部分がハイスコアをたたき出す。親として過大な期待が芽生えた瞬間でした。

学童期には発達障害児が起こしがちな問題を一通りなぞり、トラブル対応に追われました。当時ママ友から「頭がいいからいいじゃない」という慰めの言葉に傷つきつつも、「頭がいいこと」は辛い現実から逃避できる唯一の救いでもありました。

時は経ち思春期突入&ゲームに没頭していた息子と激しくぶつかることになります。

ゲームの規制緩和を求める息子に対して、当時の私は「成績が落ちる恐怖」が大半を占めていました。
日常生活や社会性に著しく難を持つ息子に、学歴という武器ぐらいしか食べていける術がないと固く信じ「あなたのため」と言って決して譲ろうとはしませんでした。

でも今ならわかります。

本当は「自分自身の不安を直視できない」がゆえだったと。

私の資産の大半は中学受験に溶かしています。
同じ障害当事者でありながら理解を示さない夫の攻撃から、子どもを守るのに必死で、相応な鬱になり、離婚してやっと自分の状況が理解できて来た時期でもありました。
離婚する前は専業主婦だったので年金も手薄で老後が不安。
転職回数も多いため、50歳を過ぎての正社員も絶望的。
でも二人分稼がねばならないプレッシャー。
目の前には奇行に次ぐ奇行を繰り返す息子。

潜在意識ではこう叫んでいたのだと思います。

こんなに頑張ってきたんだよ、お母さんあなたを守るのに必死だったんだ。
自分の資産もキャリアも全部投げ打ってここまでやってきたんだ。
もうお母さん何にもない。何もないんだ。
頼む、せめて、学歴だけ、誰もがうらやむご褒美が、お母さんはほしい。

これが本心だったと思います。

長い時間をかけて歪んだ「期待」は、言語化されないまま、息子と決裂する日を誘発してしまうのです。

期待をしてはいけない、という話ではないんですよ!

自分自身の問題を直視しないために、子どもの問題にすり替えては、事の本質を見落としてしまう、そんな経験だったと思います。

事実、息子からゲームの規制緩和を申し出られたとき、今後一切の責任は自分でとると宣言されており、これは成長のチャンスと捉えることもできたはずです。

しかも「あなたのため」と言って押しつけられれば、それは反発必須。かみ合わないと言われても仕方がなかったと思います。

そして自分自身のためにも。
空っぽになってしまった自分を癒すのは、自分しかいないんだなぁと。

今年のアイメイクはゆるふわカラーが流行りなんだそうです。
50代のMake&BeautyというYoutubeで勉強しました(笑)

何を隠そう、私の20代はガッチガチな左派、Newsweekを愛読するような女性でした。パスポートの写真は女性解放運動の党首さながらです。メイク道具は筆箱にペンと一緒にしまって持ち歩くようなメンタリティでした。

そんな私が老眼と戦いながら、メイク動画を流す携帯を遠くにしたり近くにしながら、淡いピンクで眉を描く日がこようとは。

人生って面白いですね。


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