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70年代うまれ、マザコン

私は幼少時から母親大好きっ子だったが、
今の年齢になってもなお、母親が好きでしょうがない。
そして失う日が来るのが恐怖でしようがない。
(もちろん、私が先にこの世からいなくなる可能性もあるが)
この文章を打ち込みながら、涙ぐんでしまうほどのマザコン。

マザコンとは、正しくは息子が母親を慕う気持ちなのだから
娘が母親を異常に好きな場合は使えないのだろうか。
人生には限りがあることをリアルに自分事として考える年齢になって、
この気持ちはますます増長していっている。
あと何回会って話ができるのか、
ここまで打って涙がこぼれるほどのマザコン。

ある方が、親が亡くなってしまうのが怖いと伝えたときに言われた言葉というのをネットでみつけ、なんかしっくりきたのでスクショして保存している。お守りみたいに。自分の親の言葉ではないのにね。

それでも小学三年頃からは友達と遊ぶ時間の方が楽しく感じていたし
中学生の頃は薄く反抗期もあったと思う。帰宅するとまっすぐ自分の部屋に向かい、ラジオを聞きながらせっせとリクエストハガキを書いていた。
一緒に晩御飯を作るとか、したことなかった。
悩みを相談したこともなかった。服を買ってもらう時だけ一緒に買物に行った。中学〜短大まで、一緒に撮った写真とかあったかな?卒業式や成人式さへ一緒に写っていない。友達と並んだ写真は母が撮ってくれたというのに。
二十代前半くらいまでは「自分はマザコン」なんて意識せず生きていたように思う。

それが。
だんだん「お母さんと出かけるの楽しい!遊ぶの楽しい!」と変化してきて
友達のような感覚に。一緒に写った写真もどんどん増えていった。一卵性母娘っていう言葉があるけど、こういうことをいうんだろうか。あまり健全ではないイメージだけど。

こんな話をそっくりそのまま人には話せない。
母親に対する気持ちは人それぞれあるだろうし、複雑な場合もあるし、
もう母親が会えない人になっている友人もいる。

ただ、一度この気持ちを文章にしてみたかった。
なんという親離れのできてなさ。
でも、私のお母さんとして存在してくれてありがとう、お母さん!!
涙。


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